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カテゴリ:防災・天気・防犯・事件
いつものように夜が明け、
2012年3月11日を迎えました。 ちょうど1年前のこの日が、 ほんの昨日のことであったようにも、 遠い昔のできごとであったようにも思います。 東京都心部にいた僕が長時間にわたって横揺れ・縦揺れに翻弄され、 「これはすごい。阪神(大震災)以上だ」と思っている間、 震源に近い場所では、さらにひどい状況が待っているとは、 そのときは思いもしませんでした。 数十分後。 ケータイのワンセグで伝えている、 津波に襲われているおそらく釜石市のライブ映像を、 信じられない面持ちで見ている自分がいました。 夕方から夜にかけては、 数分間隔でやってくる余震。 電車・バスが完全にストップし、会社の前の歩道であふれかえる人たち。 刻々と入ってくる東北の被災状況。 宮城県名取市内の田園地帯が津波に襲われる様子を、 NHKの録画中継で見て、いよいよただごとではないことを確信。 しかもまだこの時点で、 福島原発の被災はほとんど誰も認識していません。 何とか動き出した電車で帰宅した翌土曜日。 スーパーへ行くと食パンが品切れ。 そこから数時間経過するごとにあらゆるものが店頭から消えていき、 翌日曜日はスーパー店内の至るところでショーケースが空っぽに。 この時点では福島原発のただならぬ様子も既に報道されており、 にわかに電力不足→計画停電の話が関東中を駆けめぐりました。 週が明けて月曜日。 朝から電車が動いていません。 東京電力から各鉄道会社への電力使用抑制要請で、 各鉄道会社が運転を自粛したことによるものです。 ふだんでも混雑する月曜日のラッシュ時。 その時間帯に1本の電車も動かないなんて前代未聞の話。 かろうじて6時台に1~2本、臨時に動いた電車で 出社することができたものの、今度は帰りの電車が動いていなくて愕然。 公共交通機関にまで容赦なく自粛を求めた東京電力へ 世間からの非難が集中し、 1週間後には鉄道会社への電力供給を優先させることとなりましたが、 この1週間は、本当に出退勤で翻弄させられたものです。 1日で10km以上歩いた日もあり、 ふだんからウォーキングをしていて良かった、 と思った1週間でもありました。 とはいえ。 僕の家族はみんな無事でしたし、 自宅も壊れることはありませんでした。 どこかへ避難することはありませんでしたし、 街はいつもと同じ光景が広がっています。 そんなことを感じるにつけ、 最愛の肉親を亡くした人。 住み慣れたわが家を奪われた人。 変わり果てたわが町の光景に愕然とした人。 見えない放射線で故郷を追われた人。 そんな人たちの悲しみや後悔の念は、 僕にはまだまだ想像しきれません。 いや自分が同じ目に遭わない限り、分かるはずもありません。 首都圏にも近い将来、 1年前とは比べものにならないくらい 強烈な直下型地震が来る、と流布されています。 本当に来るのかどうかはわかりません。 来たとしてそれはいつなのかもわかりません。 そんな中、僕たちにできることは、 「今をしっかり生きる。」 これにつきるのではないでしょうか。
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