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テーマ:1Q84(15)
カテゴリ:読書・本
遅きに失した感がありますが、
今、村上春樹著作の『1Q84』を図書館で借りて読んでいます。 刊行されたのが2009年ですから、 3年目にしてようやく活字を追っています。 発刊当初、書店にはこの本を買い求める行列ができ、 大ブームになったのは記憶に新しいところ。 村上春樹の作品を読んだことのない僕にとって、 その光景は奇異に映ると同時に、 「通俗的なミーハー小説なのか?」と勝手な推測をして 近寄りがたい雰囲気を自ら作り出していました。 よって、これまで見て見ぬふり。 狭山市立図書館の貸し出しカードを最近ようやく作ったので、 気まぐれに、借りてみる気になった次第です。 ところが読み進めてみると、これがどんどん深みにはまるくらい 読むのが止められません。 僕は、熟読傾向でページがなかなか進まないのですが、 ことこの作品に関しては気がつけば一心不乱に読み進めていて、 あっという間に20ページ、30ページ先まで達していました。 何が自分をそれだけ入り込ませるのか。 ストーリーの構成やシチュエーションの妙もさることながら、 物語の中に流れている独特の表現が それを手伝っているように感じました。 たとえば固有名詞が散りばめられていること。 車だったら「三菱・パジェロ」や「スズキ・アルト」。 新聞紙名も「読売」「朝日」「毎日」「日経」。 「東急新玉川線」というのもありましたね。 今は「東急田園都市線」に吸収された渋谷-二子玉川の区間は、 物語の時代背景であった1984年当時は、確かに東急新玉川線でした。 こういう固有名詞が物語のリアルさにエッセンスを加えています。 それに加えて、読者にイメージを鮮明化させるためか、 敢えてセンテンスの次元に高低差をつけています。 たとえば「屈強な、40歳前後でスキンヘッドの用心棒」のイメージを より鮮明にするため、 「…区役所の出納課の職員には見えないし、 自動車保険のセールスマンにも見えない」という表現でつないでいる。 この「屈強な男」と「区役所職員・セールスマン」の まるで次元の異なる対比で、より登場人物の姿が頭の中に浮き彫りになるんです。 さらに比喩の使い方が絶妙。 「彼女は何をするにしても、ほとんど音を出さなかった。 森を横切っていく賢い雌狐のように。」 こういう絶妙なメタファーが、より物語を立体的にしています。 人間の心理描写にもメタファーがふんだんなく採り入れられ、 しかも外見上の手や口元の動きも、細かく描写している。 要は、読者も登場人物の一人になったかのような 錯覚に陥る感覚を覚えるのです。 村上春樹に人気があることが、ようやく分かりました。 そういうわけで現在はBOOK2を読破中です。
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最終更新日
2012年06月04日 21時18分09秒
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