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テーマ:冤罪事件(11)
カテゴリ:生き方・モラル
ネット犯罪の誤認逮捕が大きな社会問題になっています。
いつわが身に降りかかる問題なのかわかりませんので、 気になる事件です。 冤罪というのは僕は過去のできごとだと思っていたのですが、 今でもこんなに身近なところで起きているんですね。 考えてみれば、痴漢容疑で冤罪になるケースも後を絶ちません。 どうしてこういうことが起きてしまうのか。 警察の「人を見たら泥棒と思え」という性悪説に根ざした 捜査活動や取り調べが直接的な原因だと思うのですが、 それは市民の警察に対する声なき要望の結果だとも思え、 そう考えると少しむなしくなります。 いわく「性悪説はマジョリティなのだ」ということなんですね。 通常の人間はサイキッカーでもないわけですから、 残念ながら相手の心の内を読み取ることはできません。 そうなると、相手を信じるのか、疑うのか、この二者択一になるわけです。 そして現代では「まずもって人を疑う」方向に収れんされています。 何がそうさせたのか。 「信じたのに騙されたからですよ」 「騙されるかもしれないから信じないんですよ」 どちらも言い分としては成立します。 ただし、これじゃあまるでニワトリと卵の論理です。 「騙された=相手が許せない」という方程式がある限り、 この相関関係は治らないでしょう。 「騙された=自分の甘い心がそうさせた」という方程式が 成立しない限り、 「性悪説」というのはなくならないでしょうね。 人間が、そんな神の御心のような信条を持つには、 これからいったいどれくらいの年月がかかるのでしょうか。 いや、ひょっとしたらそれは未来永劫の課題なのかも。 それが人間の業(ごう)なのかもしれません。 話が大げさになった感がありますが、 「冤罪」というキーワードであれやこれや考えてみました。
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