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カテゴリ:生き方・モラル
いつ和解するかも知れない、イスラエルとパレスチナの争い。
このところ、にわかに戦闘が激しくなり、 1週間で100人を超す犠牲者を数え、 混迷の度を深めていましたが、 今日になってようやく停戦となりました。 停戦しては開戦し、開戦しては停戦する。 両者の争いが顕在化してから数十年間、 ずっとこの繰り返しを演じています。 領土問題は民族の心に直接影響を与える話であり、 日本も近隣諸国との領土問題では 感情的な面が出ていたりします。 しかし領土問題は、どちらかが感情的になる限り 未来永劫解決はしないと思います。 たまたま後から国境線を引いただけの話で、 もともと「陸地」という意味では区分されるものではなく、 人類にとって共通の財産なのです。 ですからもっと広い心で、「共有する」という精神が 求められるのです。 とはいえ、人間の性は、 怒りや憎しみ、妬み、そねみといった生々しい感情が 心の深淵に流れているもの。 無意識にそういった感情が表面化してしまうのです。 ある人が、 「『怒り』という感情に、正しいものはない」 と言ったそうです。 怒りをはじめとする感情的な観念に正しいものはない。 それはただ周囲との関係性を壊すに過ぎないのです。 そしてそれは、僕たち自身のちょっとした人間関係、 家族であったり、職場であったり、友人同士であったり、 そういった小さなコミュニティでも同様だと思います。 「怒り」という感情は、あくまでも自分本位であり、 自分が勝手に発露させているものです。 よく「あいつ、俺を怒らせやがって!」と言う人がいますが、 相手は怒らせようと思っているわけではなく、 相手の一挙手一投足を見た本人がどういう感情を選択しているか、 ということに過ぎないわけで、 「怒り」は相手がもたらしているわけではないのです。 「怒り」は罪なのですね。
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最終更新日
2012年11月22日 20時51分23秒
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