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テーマ:職場でのこと(198)
カテゴリ:映画・TV・音楽・エンターテイメント
個人面談を敢行中ですが、今日はある中堅社員と話していて、
僕の朝礼の話になりました。 「部長の話は、本当に共感できます」 --へぇ、そうなの? 嬉しいこと言ってくれるねぇ。 「『原因』と『結果』の法則は、そのとおりだと思いました」 ちなみにその時の朝礼内容は、以下のとおりです。 火曜日の朝礼で、 哲学者兼作家のジェームズ・アレンの話をしました。 彼の代表的な著作である『「原因」と「結果」の法則』で、 彼は何を主張しているのか。 平たくいえば、アレンが言っているのは、 「すべての結果には、必ず原因がある」ということです。 「何だ、当たり前のことじゃん」と言う人が大半でしょうが、 では私たちは、 その当たり前のことをきちんと受け止めているでしょうか。 今日はそのことについて話をしたいと思います。 私たちは、さまざまな結果を手にし、 自分の周囲にさまざまな環境がもたらされていますが、 そこには偶然性はなく、突発性もなく、すべては仕組まれている、 というのがアレンの主張です。 ですから彼の辞書に「偶然」という言葉はありません。 自分自身にもたらされるすべての結果は、 自分自身の内面で繰り広げられる選択が原因です。 その原因が、結果を引き寄せているのです。 たとえば、給料が低くてまともな生活ができていない、 貧しい人がいたとします。 その人は、多くの報酬をもらって経済的に豊かな生活を送りたい、 と望んでいます。 しかし、低い給料しかもらえていない現実を前に、 会社を恨み、経営者をのろい、 挙げ句に「これっぽっちの給料しかくれないんだから」 という理由で仕事をサボったり、手を抜いたりしたとします。 めぐり巡って、その人は、仕事を怠けたことをとがめられ、 さらに安い給料しか支給されなくなります。 豊かな生活を志向しているにもかかわらず、 怠惰で利己的な考えや行動をするあまりに、 結果は、さらなる貧しい生活を引き寄せるという皮肉な結果になります。 皆さんの中にも体験した人がいるかもしれませんが、 こういうケースもあります。 チームで仕事をしている際に、自分が、 「最大の成果」を志向し、効率的な進め方を考案したとします。 そしてその進め方を周囲のメンバーに「良かれ」と思って そのとおりに進行することを要請したとします。 どうなるでしょうか。 基本的には抵抗に遭います。もしくはドン引きされます。 あるいは渋々承知してそのとおりに進行する人もいるとは思いますが、 嫌々なので、発案した人の発想どおりにうまくは運びません。 なぜかというと、その「効率的な進め方」というのが、 発案者の価値観に基づいてつくられたものだからです。 人の性格は十人十色です。ということは価値観も十人十色です。 自分の価値観が隣の人の価値観と合致することはあり得ません。 とすれば、発案者の価値観で正解だとしても、 受け取る側の価値観になぞらえば、不正解だっていうこともありなんです。 そこを無理やり強要すると、チームの団結は崩れます。 そして、元々は「効率的に仕事を進め」「最大の成果」を志向したはずなのに、 結果は「非効率な仕事の進み方」になり「成果は出ない」という 皮肉な結果になります。 私たちはややもすると、結果や環境にとらわれて、 それらをどうにかしようと考えがちですが、 それでは根本的な解決には至りません。 本来は、そのような結果を生ましめた「原因」の方に フォーカスするべきです。 そしてその「原因」の根本となる自分自身の考え方や信条、行動に 何か落ち度はなかったか、反省すべき点がなかったか、と 自分自身の「よって立つもの(本質)」を改善する方に意識を傾けるべきです。 こういうノリの朝礼を毎日やっているわけですが、 これに対して幾人かの共感者が徐々に出てきている、というわけです。 くだんの中堅社員は、 「僕のような共感者がどれだけいるかわかりませんが、 仮に数人ぐらいだったとしても、この部署は劇的に変わると思うんですよね」 と、まさに僕がふだんから考えていることとまったく同じ内容を、 ズバリ言ってくれました。 頼もしいったらありゃしません。将来が楽しみです。
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最終更新日
2013年03月02日 20時15分22秒
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