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テーマ:事件・犯罪・司法(145)
カテゴリ:防災・天気・防犯・事件
今日5月1日は全国的にメーデーですが、
当時、世の中を震撼とさせ、 そして冤罪が世に初めて 大きくクローズアップされることになった事件が 発生した日でもあります。 「狭山事件」です。 この事件が発生したのは、1963年(昭和38年)5月1日。 ですから発生してちょうど半世紀を迎えました。 今となっては僕の地元である、 埼玉県狭山市が舞台となったこの事件。 当時17歳だった狭山市内に住む女子高生が、 下校途中に行方不明となり、 その日の夜、女子高生宅に身代金を要求する脅迫状が 送りつけられました。 ところが埼玉県警は、 脅迫状で指定された日時に、身代金受け渡し場所で、 犯人らしき男を取り逃がすという大失態を犯します。 折りしも、都内で2ヶ月前に営利目的誘拐の 「吉展ちゃん事件」が発生しており、この事件も、 この時点で犯人が捕らえられていなかったことから、 全国民が警察の不手際に大ブーイングとなりました。 焦った警察庁が埼玉県警に「何が何でも犯人を挙げろ」 とプレッシャーをかけたことが、冤罪を生む遠因になった、 と解釈する向きもあります。 かくして、被差別部落出身の石川一雄氏が検挙され、 一時は死刑判決まで受けたものの、 獄中から無実を訴え続けたことが功を奏し、 現在は仮釈放の身で、再審請求中です。 半世紀を経てもなお、再審が行われないことに、 別の意図が隠されているような気がしてなりませんが…。 僕は大阪の地で生まれ育ち、 地元の学校へ通う身でしたが、 関西はことのほか同和教育に熱心で、 この狭山事件のことも 道徳の時間にずいぶんと学ぶ機会がありました。 ですから、狭山市に居を移すときには、 真っ先に「狭山事件の舞台となった町」という印象が 頭に浮かんだことです。 そうは言っても50年前と今とでは 町の様子は相当変わっているようです。 いくつかのポイントを示してみると…。 まず、石川氏の生家があった場所。 西武新宿線狭山市駅から徒歩5分ほどの距離です。 あたりはちょっとした繁華街ですが、一歩路地裏に入ると、 そこはシーンと静まり返った住宅地。 その一角に、この建物はありました。 当時のバラックもどきの建物は すっかり建て替えられていますが、誰も住んでおらず、 石川氏の無実を信じる人たちの 活動施設として使われているようです。 続いて、絞殺された女子高生が埋められていた場所。 50年前当時は、あたり一帯は桑畑だったそうで、 家らしき家も建っていない、 本当に寂しい場所だったそうです。 今は住宅がぎっしりと建ち並んでおり、 女子高生の遺体発見場所は アパートに生まれ変わっていました。 そして最後に、真犯人と思しき男を取り逃がしたという、 身代金受け渡し場所の酒屋跡。 写真奥中央、赤い屋根の住宅が酒屋跡です。 僕が越してきたときは、酒屋がまだ営業中でしたが、 数年前に店を閉め、すぐに店は取り壊され、 一戸建ての住宅に生まれ変わりました。 手前は狭山名物の茶畑で、 これは当時とあまり変わっていないようです。 真犯人は、写真左手から姿を見せ、 酒屋の前で、おとりになった被害者の姉と 一言二言交わした後、 周囲に人(警官)の気配を感じたらしく、 姉から何も取らずに逃走、 そのまま見失ってしまったとか。 当時は街灯もほとんどなく真っ暗闇で、 被害者の姉も、 犯人の顔を見ることができなかったそうです。 いずれにしろ、半世紀たった今でも、 この事件は終わっていません。 被害者も今年で50回忌。 大きな区切りの年になります。
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最終更新日
2013年05月01日 21時49分24秒
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