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テーマ:心おだやかに 生きる(624)
カテゴリ:生き方・モラル
昨日の日記で、
ヨメさんの最期のシーンを記録の意味で書きました。 ひまわり♪さんから寄せられたコメントにもありましたが、 人が死んでいくさまを実際に体験することは 実はありそうでなかなかないことだと思います。 70年以上生きている僕の母親ですら、 そんな場面に遭遇したのは今回が初めてだったそうですから。 人の死に際は、テレビドラマや映画では頻繁に描かれていますが、 実際にはさほどドラマチックではありません。 目を見開いて何か言いたげなんだけど、 次の瞬間、パタッと顔が横を向いて事切れる。 まるで眠っているかのように、 いつの間にか息が絶えている。 ドラマや映画では、概ねそういうシーンが展開されるのですが、 実際の死に際は、昨日記した通りで、 息継ぎが徐々に小さくなり、 次いで間隔が長くなり、 さらに、いつがエンドだったか分からないくらい、 1分以上の間隔まで間延びしていく。 そんな感じで粛々と進行していきます。 あっけなくもあり、 しかし、徐々に徐々に遠い世界へ歩を進めているようでもあり、 何とも表現のしようがありません。 そういう様を間近で見せられると、 改めて「生きることとはどういうことか」 といったことを思い知らされます。 それだけ、人の死に際は尊厳あふれるシーンとして 胸に刻まれます。 そして僕の場合、次の瞬間、 ーーこの人の分まで、しっかりと生きていかなくてはならない そんな気持ちが沸き起こってきました。 愛する人を失って悲しみに暮れた挙句、 生きていく意味を失い、自暴自棄になって 他人を傷つける行為に出たり、自死を選んだり、 そこまでは至らなくとも、 廃人同様になっていったりする人がいますが、 定められた寿命を全うすることが 現世に生きる私たちの義務であるならば、 最愛の人を失くすという とてつもない大きなストレスをも乗り越える、 そういう試練が自分の人生(未来)から与えられた、 そういう風に解釈する方が自然なのかなぁ、と感じます。 そして亡き人も、遺った者の生き方について、 草葉の陰からじっと見守っているに違いありません。 この世での一生を終える頃に、 「多くの徳を積んで、大いに自分を磨くことができた」 そう振り返られるような人生を、 これからも歩んでいこうと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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