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テーマ:坐禅(102)
カテゴリ:生き方・モラル
毎週日曜日の早朝は、ウォーキングの直後に
近所のお寺に赴いて坐禅会に参加しています。 で、会場に着いた際、住職と顔を合わせれば 「おはようございます」 と挨拶するのですが、 住職は一瞥をくれるだけでウンともスンとも言ってくれません。 その瞬間、何だかお愛想なしで、少し寂しい気持ちがします。 --住職は、そういうぶっきらぼうな人なんだなぁ と勝手な解釈をしていたんですが、 今日、坐禅が終わってからの懇親会の席上での話。 「坐禅会は修行の場。 そしてそれはお寺に参ったときから修行が始まっている。 だから坐禅が始まる前に 参加者同士で世間話をするのもどうか。 本来は、挨拶すらしてはいけないのだ」 というようなことを住職が話し始めました。 --なるほど、それで無愛想に見えたんだ。 住職としては、仏門をくぐった者として、 まっとうな対応を常に行っているに過ぎないんですね。 愛想さえよければ良い、という考えは空虚なもの ということを教えられました。
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