|
カテゴリ:野 球
オリックスの敗戦を見届けて西武がCS出場を決める、
23年前の今日も似たような光景を見ました。 合併球団は近鉄の悲運を吸収していったのでしょうか。 23年前の10月19日、近鉄の引き分けの結果を受けて、 観客のいない西武球場で西武の優勝胴上げが行われました。 23年後の10月18日、西武は満員の西武ドームで 西武ファンと共に最終戦で決めたCS出場を喜びました。 プロ野球史上、最も劇的で伝説になった闘い。 1988年10月19日の川崎球場、駄菓子屋球団と近鉄の ダブルヘッダーの死闘から23年の年月が経ちました。 結果的には愛するチームが優勝を逃してしまうという、 最も悔しい2試合でしたが、 それ以上に近鉄バファローズが残してくれた死闘の記録は 23年経った今も忘れられない2試合でした。 近鉄を指揮した仰木監督、仰木さんの魂が眠っていると 確信している川崎球場。 仰木さんの墓参りの意味も込めて、今年も1日早くですが 川崎球場へ行ってまいりました。 大学生でしょうか、アメリカンフットボールの練習が 粛々と行われていた川崎球場は今まで何度も書いている通り、 2007年には内野部分が全て人工芝が張られ、 ダッグアウトが撤去されて野球場の面影が無くなりました。 上に挙げたテレビ番組、すぽるとでしょうか、 こんな特集が組まれていたなんて初めて知りました。 こういう時、YouTubeの存在が本当に有難いと思います。 18年前というナレーションがあるので2006年の映像でしょう。 ここで観られる川崎球場はダッグアウトもマウンドも ダイヤモンドもまだ存在しており、 野球場の面影が残る、今となっては貴重な映像です。 今グラウンドは球技場に変わってしまいましたが、 外周道路を1周すると、外野スタンドの金網が残り、 植物が生い茂ってライトポールに何重も絡まっていたり、 バックスクリーン部分は解体されずに放置してくれており、 当時の面影を偲ぶ事ができます。 西宮、大阪、藤井寺の各球場が跡形も無くなってしまった今、 川崎球場は懐かしき80年代のパリーグの記憶がよみがえる、 貴重な歴史遺産だと思います。 アメフトファンからすると、いつまでこんな仮設スタンドで 試合を観ないといけないのか、 早く常設のスタンドを作ってほしいと思われているでしょう。 しかしながら、23年前の今日起こった伝説の出来事を、 現地で、テレビで、体感した人はこの場所に訪れて 当時の熱狂を思い起こし、 後世代の人達にはその伝説の舞台を確認できる旧蹟として、 伝説の球団近鉄バファローズを後世まで伝えてほしい。 「テレビじゃ見れない川崎劇場」。 駄菓子屋球団がオリオンズだった時代の記憶。 近鉄バファローズの優勝を賭けた執念。 翌20日、南海ホークス最後の公式戦が行われた球場。 あの頃のパリーグの想い出がこの場所に詰まっています。 川崎球場が野球場であった証を保存してほしい、 近鉄ファンの、野球ファンとしての切なる願いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011年10月19日 02時23分29秒
コメント(0) | コメントを書く
[野 球] カテゴリの最新記事
|