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結構疲れが出ちゃってた深夜の帰宅、開いたPCに一通のメールが。 大学のとき働いていた塾での元教え子“Iちゃん”からでした。 彼とは中3から高2までの付き合いで、今年はいよいよ受験の年。 その“Iちゃん”からのメールが、もう、素晴らしくって。 第一志望校の受験前夜。 以前の自分なら悪いことばかり考えて気持ちを落としてしまっていたところ、 そのときはすぐに「いいこと」を考えて気持ちを切り替えることができたとか。 それは自分でもびっくりの変化で。 そして自信を持って臨んだ本番で自分の力を出し切れたって。 その試験の結果はまだ分からないのだけれど、そのことを教えてくれたのです。 いやあ、もう、ねえ、嬉し過ぎるじゃないですか。 「合格」「不合格」という“結果”だけでは見ることのできない、 そしてそれよりもきっと重要な“過程”の部分で彼が何かをつかんだこと。 そしてそれを“結果”っていう色づけがされる前に教えてくれたこと。 もちろん、“結果”が素晴らしいものであれば言うことなし。 でも、それはあくまで副次的なものだと思ってしまうのです。 「どの大学に入ったか」が意味を成すのは、ほんのひととき。 でも、“Iちゃん”がつかんだものは、間違いなく、一生もの。 “Iちゃん”がつかんだもののうち、 遠く離れたところにいる僕が推し量れるのはほんの一部ですが、 僕が強く心を惹かれたのは、基準の持ち方であって。 「偏差値」とかなんとか、他との比較を基準に自分の成長を測るんじゃなくて それこそ「一年前の自分」っていう風に、自分の内側に成長の基準が持てていること。 そこに基準を持てれば、その人はどこまでも成長できると、思うんです。 しかも、周りに合わせたりすることなく、オリジナルにね。 世界にまたひとり、楽しみな若手が登場してきましたよ。 彼のこれからが、なにより楽しみ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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