こちらの日記で紹介した大学時代の教え子“Iちゃん”が、
大学生になり僕が働いていた塾で先生を始めたという、
「いいねー」なニュースがありました。
これから、がんばってほしいなあ。
自分の色が出し放題な仕事なので、面白かったなあ。
僕は、そりゃあもう、楽しませてもらいました。
僕が先生だったころ、とにかく“楽しんでもらう”を追いかけてました。
そのために授業の準備をして、所々に工夫を凝らして。
“わかる”の先にある“楽しい・面白い”までたどり着こうとする作業。
楽しくて楽しくて、夜が明けたこともあったっけ。
それくらい、いわゆる没頭をしていたのです。
あのころ、毎日「やったるでー」って感じで、ワクワクしながら仕事をしてました。
熱い気持ちに引っ張られるままに、爆走するような感じで。
社会人になった今はどうかと言うと、あのころの熱さはないんです。
それは、ネガティブな意味では全然なくて。
“熱さ”の替わりになる価値観を、ちょっくら持ってみようかなと。
“あったかい”くらいの温度で、過ごしてみようかと思ったのです。
どういう心境の変化か分からないですが、
“熱血”よりも“柔和”を、
“熱い”も“冷たい”も受け入れられる“あったかい”を、目指したいと思っています。
心の“ちょうどいい”適温を探すような感じで。
でもねー、“ちょうどいい”は難しいんだ。
きっと長い道のりですが、ゆっくり探していこうと思ってます。
それを知ってる大人、やっぱカッコいいんで。
だからこそ、熱くなれた大学時代があってよかったなあと、本当に思います。
自分の沸点を見つけた時間。
いろんな感情にまみれた時間。
“熱い”を“あったかい”にするのと、“冷たい”を“あったかい”にするのは別だからね。
後者なら、いっそのこと沸きたてちゃえ。
“熱い”も“冷たい”も知ってる“あったかい”を。
誰かの未来も、自分の未来も、楽しみなもんだ。