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本当に久しぶりなんですけど、「おもちゃ」を買ったわけです。 「SEGA TOYS」から出てる商品なので、立派な「おもちゃ」です。 大人になっても、「おもちゃ」はワクワクであります。 「HOMESTAR AQUA」というのですが、家庭用プラネタリウムですよ。 お風呂に入りながら満天の星空を眺められるのであります。 電池は別売りです。単4×4本です。 お昼に買って、夜を待っていざ投影! すごいですよ~。 七夕の夜空に設定されているので、天の川とか見れちゃいます。 というかね、夜空にはこんなに星があるんだなと。 それに何よりビックリしたというか、ショックだったというか。 ショックだったのは、こんなに星があるのに普段は見えないってことで。 眼鏡をかけたら視力が悪いことに気付いたような感じです。 理由は空気が汚いとかいろいろあるんでしょうけど、 一番基本的なところとして「夜が明るい」ってことがあると思うんですよね。 僕が住んでる大阪のど真ん中。 夜が本当に明るいんですよ。 街灯、ネオン、車のライト、人が作る光でいっぱいで。 遠く遠くから放たれる星の光が、負けちゃうんでしょうね。 これって割と大事な問題であるぞと僕は思っていて、 それは「闇」に対して僕らがとる態度の問題だと思うからです。 特に都市の文化というのは、あらゆる「闇」をダメなものとして扱う文化なのかなと。 夜という物理的な「闇」、社会的な「闇」、人間の心の「闇」、そういうものを否定して、 「明るいことはいいことだ」の価値観を全面に押し広げようとする文化なのかなと。 「明るい夜」はその象徴なんじゃないかと思うわけです。 でもでも、僕はその価値観に賛成できなくって。 闇のないところには光もないと思うからなのです。 逆を言うと、光のない闇もきっとなくて。 闇を怖がる必要はきっとなくて、闇を受け入れた先に本当の光があるんじゃないかって。 人工の光を全部消したら、宇宙がとびきり奇麗な光を届けてくれるような感じで。 これは具体的でもあり、比喩的でもある話なのです。 というわけで、僕は自分の「闇」も誰かの「闇」もウェルカムな人間でありたいなと思います。 「闇」が訪れたら、中途半端に明るくしないで、思いっきり暗くしちゃえと。 そして、明るいときには見えない光に気付ければいい。 そんなことを「おもちゃ」に教えてもらった24歳の夏でした。 「時の流れが 生きてる意味に目隠しする理由は プラネタリウムと同じ 暗闇がくれる光を知るため」 ~BANK BAND/はるまついぶき~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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