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具体的なことは何にも書けないことも、 ホントはこんな時間に日記を書いたりするべきじゃないのも、 そもそもすっごい久しぶりの日記だったりすることも、 ぜんぶぜんぶ承知で断って、書きます。 いや、書かせてください、かな。 今日、僕の働き場でとてもとても悲しい出来事がありました。 それは電話で知らされ、その場にいた誰ものからだを駆け巡り、 答えのないずっと続く問いかけを残して、去りました。 だれかが、僕らの生きてる世界の一員ではなくなってしまったのです。 それは、とてもとても突然で、理不尽で、絶対的な出来事でした。 それを聞いた誰もが受け止められず、やり過ごせず、立ち尽くしました。 そうするしかなかった、とも言えます。 僕の働き場は、大学受験の予備校です。 そこにいるのは、みんな「途上のひと」たちです。 何者でもない自分を何者かにするために、「今より先」を目指すひとたちの集まる場です。 今日のその瞬間まで、僕はそう思っていました。 彼にその「先」はありません。 少なくとも僕らが思うような「先」は、ですが。 ともかく、僕の考えは、間違っていた。 彼は、いや、みんな「途上のひと」でありながら、たどり着いているのです。 「どこかを目指す道の上の、スタート地点より進んだどこか」に。 瞬間瞬間、通過しながら、到達しているのです。 「昨日のじぶん」にとっての「進んだ先」から、「今日のじぶん」が出発して、 ちょっとだけ進んだその場所にたどり着いて、そこからは「明日のじぶん」にバトンを渡す。 「明日のじぶん」はひょっとしたら気まぐれで、戻ったり、曲がったり、するかもしれない。 でも、「昨日のじぶん」にも「今日のじぶん」にも、それを怒ったり、とがめたり、 直したりする権利は、ない。 「それはなぜだ」と問うならば、雲を眺めたり、川を見つめたりすれば、きっとわかる。 「それはおかしい」と思うならば、永遠に潜水しようとしてみれば、きっとわかる。 抗うとか、従うっていう価値観が通用しない、世界の「へそ」みたいな場所が、きっとある。 そこに神様がいても仏様がいても、誰もいなくてもいい。 聖書があってもコーランがあっても、何にもなくたっていい。 ただそういう場所があるってことをわかることが、生きるってことだと思うんです。 その場所は暖かくも寒くもちょうど良くもなく、優しくも冷酷でもない。 手は届くけど触れない、目には映るけど見えない、そういう場所が、ある。 ただ、ある。何も指図せず、すべてを支配する。何もせず、すべてをする。 そういう場所に出会ったとき、僕らにできることはきっと、立ち尽くすことなんだと思う。 僕らが「途中だ」と思ってなめてたり、バカにしていることが、「最後のこと」になる。 「これから」があると思って油断していたことで、「これまで」になる。 それは、しみじみとした教訓でもなんでもなく、 「今夜のごはんはカレーライス」ということと同じ、ただの可能性なのです。 僕は今日、その可能性ってやつに出会って、立ち尽くしました。 まだ、立ち尽くしています。きっと、これからも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年03月10日 01時36分51秒
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