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久しぶりに会う人に、「やあ、かわらないなあ」って言うことって、ありますよね。 「かわらないなあ」は人によって、いいこととも、わるいこととも捉えられますが、 今回東京に行って会った人たちとはみんな、 「かわらないなあ」を嬉しく交換しました。 中学生のときからの恩師、高校生のときの留学仲間、大学生のときの教え子。 しょっちゅう会っているわけではない人たちと、「かわらないなあ」を交し合うことが、 もう嬉しくって嬉しくって。 「かわらないなあ」は、言うのも、言われるのも、嬉しい。 それは、それぞれのときに、 「一生懸命」とか「ありのまま」を共にした人と交わす「かわらないなあ」が、 それぞれがそのとき大事にしていたものを、今でも大事にしているってことを、 ことばを変えて表現しているからなんだなあと思うのです。 僕はもう(いや、まだ)25歳なので言ってしまいますが、 大人になるにつれ、僕らはいろいろ捨てていきます。 それは、物理的な意味でもそうですし、 もっとやわらかい部分、例えば「こうなりたい!」っていう希望だったりとか、でもそうです。 それは決してわるいことじゃなく、むしろいろいろ捨ててもそれでも残ってしまうもの、 そういうものが自分にとって本当に大事なものだとわかるので、いいことだと思います。 そういう道のりを経て、「それでも残ってしまったもの」を共有できる人同士が、 「かわらないなあ」を嬉しく交し合えるんですね。 僕はもう(いや、まだまだ)25歳なので言ってしまうのですが、 大人になって、子どものときに抱いた「こうなりたい!」「これがしたい!」を、 子どものときのような鮮度というか、切迫感を持って抱くことは、きっとないのだと思います。 それもまたわるいことじゃなく、子どものときに抱いた夢や憧れを 自分のものにするための技術を身につけることが大人の仕事なので、全然いいんです。 そうやって道を定めて、「自分の場所」を作っていくことに、愉しみがあります。 だからこそ、「かわらないなあ」を交し合える人とは、これから先同じようなところに、 「自分の場所」を作り合うんじゃないかなあと、思います。 それって、とっても嬉しくて、楽しみなことなんです。 大人になって、人と会うことがどんどん面白くなっています。 これからも、嬉しい「かわらないなあ」を、何度でも、ね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年05月10日 10時03分11秒
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