母のこと
今、佐野洋子さんが書いた「シズコさん」というエッセイを読んでいます。姉と私は母のことで、少なからず傷を負っているところがあって、年をとるにつれて、その傷がよみがえってきてしまって、どうしても母に優しくなれないで悩んでいます。母は激しい人だったと思います。包み込むような優しさなどは、持ち合わせていませんでした。気に入らないと怒りだし、そんなときに何か言おうものなら、激怒して収集がつかなくなってしまって、父や私たちはただただ嵐がさるのをじっと待つという状況でした。私たちが小さいときには、体罰もありました。先月、私たち娘が冷たいと母が怒り、一方的に絶縁状をたたきつけてきました。まあ、いつものことです。言っているだけで、結局なにもできないのが母なのです。いつものごとく、1週間くらいしてから、何もなかったように電話がかかってきました。違っていたのは私でした。母に対しておかしいと思いながら、いつもなら、「まあいいか、怒らせるのめんどうだし」となんとなく適当に和解してきたのですが、今回はどうしても私はそれができないのです。「なんとなく和解する」ということにも、結構エネルギー必要だったのですね。和解するということは、また、あの日々にもどることだよね。結婚してから、3日とおかず、母からかかってくる電話。ここ数年は、それが毎日になり、ここ2~3年は一日に多い時で5~6回になっていました。電話が苦手な私は、半分ノイローゼ状態でした。また、あの日々にもどるの?実家に遊びに行くと毎回必ず母が父を目の前にして、舅や小姑にいじめられたこと、父や自分の親兄弟が助けてくれなくていかに自分が傷つき、いかに自分が孤独だったかと、話すことに、まるで初めて聞くようにうなずいてじっと聞いていなくてはいけない、あの生活に戻るの?ちょっと今の私には我慢できそうもなく、今だ和解を保留中です。子供が小さいときには、よく面倒を見てくれたし、両親も年をとってきているし、本当に申し訳ないけれど、今の私は、自分の家庭のほうが大事で、そちらでエネルギーを使いたい。別に、絶縁しようとは思わないけれど、もう少し時間が欲しい。そんなとき姉からこの本を借りました。上には上がいるのは分かっていましたが……。佐野洋子さんは長女で、母親から虐待を受けていました。兄弟は、亡くなった方もいて、最終的には4人だったと思います。上3人が女で一番下が男の子。お母さんはこの下の男の子と自分で建てた家に住んでいたけれど、嫁に追い出され、妹2人もこんな親の面倒は見たくないということで、結局、一番母親から辛い目にあわされていた、彼女が面倒を見ることになりました。恨みもあり、何でという疑問を持ちながら、年をとって認知症になってしまった母親を見ながら、いろいろ昔を回想するのですが、でも、結局彼女は母から受けた虐待を恨むよりも、認知症になった母を施設に「捨てた」自分を責めている。そして母親に優しくなっている。そうなのかな、私もそうなれるのかな。まだ、すべて読み終えてはいませんが、いろいろ共感することもあり、彼女の気持ちの動きも、とても心に沁みます。私ももう少し年を重ねたら母親に対して優しくなれるのかな。母のためにも自分のためにも、優しくなりたいとこの頃強く思います。