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ヨンちゃんは 元北朝鮮国籍で 今 韓国国籍の在日3世だ
ヨンちゃんによると 日本にある朝鮮系の学校はふたつあって ☆ 北朝鮮系の 朝鮮学校 ☆ 韓国系の 民族学校 と なるらしい ヨンちゃんは 保育園は日本の保育園に通い 小学校から北朝鮮系のいわゆる「朝校」に通いはじめたそうだ 保育園から朝鮮系に通っていた子供達とは違い ヨンちゃんは ハングルがはじめあまりはなせなかったそうだ ところが 今の ヨンちゃんは バリバリネイティブで通じる程 ハングルに堪能だ 実は 「朝校」には 当時 【100%運動】 なるものがあったのだという それぞれのクラスを対抗で競わせるのだが なにを競うのかというと その日一日クラス全員が 「100%日本語を使わない」 というものであった つまり 学校に着いた瞬間から ハングル一色の生活である 休み時間や友人のとのたわいないおしゃべりまで 全てがハングルしか使えない うかつに一言でも日本語を使ってしまうと 「今日の(▼▼)σ オマエは99%だ!」 と 授業後のHRで総攻撃を受けるのだそうだ これは厳しいなーと正直思った・・・(゚_゚i)タラー・・・ でも 確かに そんな教育をずーーーっと受けていれば かなり言葉としては覚えるんだろーなー(-ω-;)ウーン しかし それよりオドロイタのは あたしたちが授業で算数や体育を習うように 「金日成様の一生」(正確な科目名称は忘れました(;´▽`A``)という 学科がカリキュラムにあるのだそうだ 、、、、、日本の中でもそんな教育してたの?Σ(・口・) ショック☆<( ̄□ ̄;)>☆ショック ヨンちゃんは あたしと話すまでそれがふつーだと思ってたそうだ (´Д`) =3 ハゥー ちなみに 修学旅行でいった北朝鮮では もちろん 「金日成様の御生家」も見てきたそうだ なんだかしゅごいねー、、、 ヨンちゃんも こんなこと日本人に初めて話した-と言っていた -------------------------------------------------------------------- 実は今は昔 あたしは「ソウル」という名の韓国クラブで 「在日4世の イ ランジャです~」 といって 働いていたことがある その店は日本語ができるのは在日2世のママと 片言で話せる釜山からきたチーフだけで 12~3人いた女のコはみな ソウルか釜山から来たハングルしか話せないコ達だった ソウルから来たと言うコと釜山から来たと言うコは 一目でみわけがついた 釜山から来た女のコたちは明らかにあか抜けていなかったからだ なんにせよ その店に来るお客さんは 1 在日韓国人の方 2 韓国からのビジネスマン 3 北朝鮮からのビジネスマン という内訳で日本人はまず皆無だったのだが なぜか まったくハングルの話せないのに あたしは頼まれて働きにいっていたのだった 働きながら自然と覚えた言葉が 「オッパ メッチュ チュセヨ~」 「チュワヨ~」 「アンニョンヒカセヨ-」 などなど 単純な言葉だったのだが あるときひとりのお客さんにとても気に入ってもらったことがある そのお客さんは ぱっと見た感じは 俳優の 萩原流行 に 似ていた 彼は北朝鮮からビジネスマンで貿易関係の仕事をしていると言っていた あたしとは 日本語と英語とハングルのチャンポンで話していたのだが 突然愛人になれといいだし 「ソウルにマンションを買ってやる」 などと言うので 「ソウル、、、、寒そうだからいやだな~」 というと 「○○○○ か ○○○○ でもいいぞ?(当時の某社会主義国の都市名だった)」 などとかなりしつこくぬかしおった その頃のあたしは社会情勢にはとんと 疎かったので いま思えば北朝鮮の普通のサラリーマンが そんなマンションなんか買えるわけもなく あの人はナニモノだったんだろー と 思う だいたい 普通のサラリーマンが 日本になんか出張にきてる筈ないよねー と ヨンちゃんと話していて気がついたのでした ←気がつくの遅いw お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.09.24 23:24:02
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