カテゴリ:日常日記です
「七重八重 花は咲けども 山吹の
みのひとつだに なきぞあやしき」 私は雨の多い今頃の季節 山吹の鮮やかな黄色い花が咲くとこの歌を思い出します (「みのひとつだに なきぞ悲しき」と書いている文献もあるみたい) 今は亡き祖母が、教えてくれた歌ですが、 「後拾遺集」兼明親王(かねあきしんのう)の雑歌だそうです 尋常小学校しか出ていない祖母なのに、よく知ってたと思うのだけれど 教科書にでもあったのでしょうかね? 有名な和歌のようなのでご存知かもしれませんが 聞いたことない人は、これだけではなんのことやらわかりませんよね(^^ゞ あるサイトの解説を引用させていただきますと “別荘で過ごしていた作者の所に、ある雨の日に簑(みの、つまりは昔のレインコートですね)を 借りに来た人がいました。 その人に山吹の枝と一緒にあげた歌です。 解釈は 山吹の花は幾重にも花をつけるけれど、実は一つもつかないものです。 この家にも簑一つさえないので、残念ですがお貸しできませんよ。 (簑がないと言っても別に貧乏ではなく、身分の高い人は簑なんて物は着ないというのが この場合正しいでしょう。「みの」という言葉は「簑」と「実の」で掛詞になっています。) そして お江戸の城を築いた将として有名な太田道灌が 関東管領・扇谷上杉氏の執事となつたのは二四歳の頃 その青年武将が初夏の一日、供の者数名を具して 早稲田のあたりへ鷹狩りに出かけるとたまたま俄か雨に遇つて 近くの貧しげな農家の軒先に雨宿りをしましたが、 止む気配もないので家来が農家の娘に蓑を貸してくれと頼みました。 ところがその農家の娘は、この歌になぞらえて山吹の枝を差し出したのですが、 道灌はその意味が分からなかったんですね。 「花ではなく雨具だ!」といきり立って城へ帰ってしまったそうです。 その後、伝へ聞いた家臣のなかに歌道に明るい物が進言して 雨具すら持ち合せない境遇を村娘は古歌に託して表出した、 と知るのですが、道灌はそれを恥じて和歌を猛勉強して 後に、 「雨宿りまでは無骨な男なり」 「雨宿りから両道の武士となり」 と 古川柳が揶揄したほどに、これを契機に決然発奮、 風雅の道に勤しみ始めて武家としては有数の歌人になったそうです。” いい、お話でしょう(^▽^*) 強い男とは文武両道の学びが必要なんですね~(⌒~⌒) この逸話を、小さい頃に祖母から聞いた時は、 日本の女というのは、どんなに貧しくても、 卑屈になってはいけないんだよと、自分勝手な解釈で 教えられたような気がしたのですが 恥じらいを持って山吹の枝を差し出した娘のように 機転を利かすことのできる女性は素敵ですよね っていうかね そこに訪ねて行った男が 力も教養も無い私だったら・・ 「蓑も傘も無いって口で言えよ!」 (" ̄д ̄) けっ! あ・・お下品でした それを言っちゃあ 「みもふたもない」 ってか?(笑) へ( ̄▽ ̄)へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年04月20日 22時08分02秒
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