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2005.08.31
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『恋愛論』のつぎは、少し『生と死』に関するおはなしを。


『願わくば 花の下にて 春死なん

            その如月の 望月の頃』



西行法師のこの歌は、私にとっての理想の死、そのものですね。

私には不思議と『死』に対する怖れよりも、憧れの方が常に強いんです。

怖れるとすれば、それは断末の苦しみに対してですね。

『生きる』ということに不器用だから、と言うのがその大きな要因なんですが

宗教的な後押しも大きいです。

釈尊が出家を決意された時、詳細は忘れましたけど、病気に苦しむ人や、愛する者との

別れに泣く人やらの姿を見て、『生きる』=『苦しみ』であると悟られたんだそうです。

この考えはわたしの思いとも重なります。

『肉体を持つ』、と言うことは、人間にとって大きなハンディを持つことなんですね。

肉体があるために、飢え、痛み、病、煩悩、所持欲、そんなものが生まれるわけです。

実際、仏教の教えでは、人間の生きている現世というものは、地獄などよりは上でも

神界や霊界の下に位置する低い地位なんですね。

現世に生きることはすなわち、『ハンディを背負って精神を鍛える』という修業のため、

というのが私の考えです。

だから、いくら生きることがつらくても、自ら死を選ぶことは修業の放棄ですから

決して、してはいけない選択なんです。

断末の苦しみとは、簡単に修業放棄させない為の防止策なんですよ、きっと。

霊魂(精神的存在)を否定される方には無意味な論理でしょうが、この考えこそ

今、私の生きる力そのものなんですよね。いくらつらく悲しいことがあっても

やがてそこから開放されて、神様の庭に辿り着ける。

そう思うと理不尽な現世も、乗り切っていける気がしませんか?

よしんば霊魂がなくても、永遠の静かな眠り、それだけでも十分魅惑的ですが。

死がつらく悲しいのは、残された者にとって、ということが多いですよね。

ただ、誤解がないように申し上げますが、現世に生きることを楽しんでいないというわけでは

決してありませんので、悪しからず・・・・^^





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Last updated  2005.08.31 19:33:48
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