のんびり高校世界史を垣間見る フランス ロマンティックな教会
低地ノルマンディ Basse Normandie にある小さな村 Méhoudin の 川のそばにある愛らしい教会を訪れてみました。 川のせせらぎと豊かな緑、大きな西洋楢の木のある庭、何ともロマンティックな場所です。 あ、道路沿いなので、車の騒音が若干すごいんですが、 農業用のトラクターも割に通ります。ノルマンディの田舎は渋滞らしいものはないのですが、このトラクターに出遭うと、ノロノロ運転を強いられてしまいます。 さて、その美しい景色の中にある小さな教会はなんだかんだと人々を魅了しているようです。駐車場もあります。あ、教会だから、人が集まる場所に駐車場があるのは当たり前か。 気分的に神社やお寺を訪れたような気分になります。 こういう小さな教会はそこに住む人々の暮らしの中で、一つの精神軸として守られてきたのだろうと思います。静かに祈りを捧げてきた神聖な場所なのですね。 ただ、宗教が権力を持ち、濫用された隠したいような話もなきにはしはあらずで、どの宗教でも、まるごと鵜呑みにできない部分もあるだろうし、ファナティックになることもないだろう、と。こんなことを言っているから、無宗教。でも、何となく自然に宿る神様は信じている感じで。頼りたい時の神頼みも相変わらずしてしまいますし。 夫はカトリックなので、私が彼の健康を願ってカトリックのお祈りをしたり、亡き親は仏教徒だったので、仏教でお祈りしたり。そのカトリックの夫がなぜか仏像をほぼ彼の書斎のようになっている居間に飾っていまして、お祈りを捧げることもあり、たぶん、知らない人が来たら、私がファナティックな仏教徒と勘違いする可能性はあります。仏像と言えば,昨日、ノルマンディの田舎で迷子になり、走行中に、なんと、ある一軒家の窓の外に仏像が二つ飾られていました。フランスでは確かに仏像イコール瞑想、静寂を呼ぶものとして、それ以上の宗教的な見方はされてないと思います。が、あと、結構、風水にはまっているフランス人もいるようで、あれは、東北に白、東に青、南に緑、西に黄色、と私も若干はまりましたが、それと関係あるのかなあ、と思ったり。いろんな人がいて、楽しいフランスです。さて、教会を見ると、いつも一体、これは何様式なんだろうと気になってしまいます。が、この教会は、どうもノルマン様式のようです。 l'art Normand le style Normand え?ノルマンディにあるから、ノルマンかい? って突っ込まれそうですが、ゴシック様式のリブヴォールト croisée d'ogive が使われているのに、ゴシック様式の特徴の一つであるあの華麗な arc boutant フライング・バットレスがないんですよ。 こういうのを、Art Normand と呼んでいるそうです。 いや、でも、やっぱりノルマンディにあるからじゃないのかしら、と、思っちゃいます。ノルマンって昔は北欧のヴァイキングを意味していましたが、北欧と関係あるのかしら。 この村のメウダンと言う名前、メは家を意味し、ウダンは戦う者と言う意味だそうですが、ウダンって名前の北欧の神様いませんでしたっけ。と、思いはいろいろ彷徨ってしまいます。 ちょっと、おさらい。リブヴォールト croisée d'ogive天井に交差する骨みたいなもの。(ボルドー市内の聖堂)フライング・バットレス arc boutant ( 高地ノルマンディ Vernon-Giverny の聖堂)写真の左側の半円を描いたような柱のことです。建物を支えるためのものらしい。これのお陰で天井がより高く設置できるようになり、ステンドグラスが多く使われ、より内部を明るくできるようになった、と。こんな美しい建築物に、これいっちゃおしまいなんですが、肥大化していく感が若干あります。さて、低地ノルマンディのこのメウダンという小さな村には8世紀にはすでに人が住んでいたそうです。北欧ヴァイキングが押し寄せたという時代でもあり、いろいろ定着して住むには困難な時代だったかもしれません。 フランス大陸には北欧ヴァイキングが8世紀にはすでに来ておりまして、911年にはノルマンディと言う広大な土地が北欧ヴァイキングのロロン Rollon に捧げられ、 ロロンはキリスト教徒の洗礼を受け、カロリング朝フランク族の王シャルル3世、別名「単純王」Charles le Simple の娘 ジゼル Gisèle と結婚し、 ロベール一世となり、後からやってきた北欧ヴァイキングたちの侵略を防ぎ、 ノルマンディをフランス国の一つとして守ったとされています。 ロロンは、Rollo とも書かれていたそうです。ラテン語。スカンジナビアの人は Rolf とか Hròlfr と書いたそうです。911年、La traité de Saint Clair sur Epte という契約でノルマンディ誕生です。ちなみにこのノルマンディ誕生前にフランスに渡ってきた Saint Clair 聖クレールはイングランドはケント の Olchestria に生まれた人で、相当ハンサムだったのか、イングランドの貴族の女性に結婚を迫られ、逃げまくったものの最後は、命まで狙われ、884年11月4日に貴族の女性が送った兵士たちによって残酷な形で没しています。9世紀のストーカー被害者ですね。845年生まれという記録が残っているそうで、39歳であの世にいってしまったんですね。高地ノルマンディのエプト Epte の教会には、聖人クレールのミイラが残っていて、忘れ去られたような古い教会の中で祀られているんですよ。背の低い聖人だったようです。Epte の地名は川の名前から来ています。近くの公園に、言い伝えで、その場所に、聖クレールの頭が置かれ、そこに聖なる水が湧き出ている、と。私はそこでちょっと怪我をしたので、女嫌いだったのか、まあ、わかる、と思っちゃいました。シャルル3世、別名「単純王」Charles le Simple 879年9月17日生まれ。911年、彼は32歳。青年ですね。でも、当時の寿命は今より短いのかな。929年に50歳で亡くなったそうで、4人目の妻の一人息子はイングランドに渡り、海の向こうで、Louis d'Outremer の名前で知られていたそうです。ロロンの子孫は、シャルル3世の子孫でもあるわけですね。単純王と訳され、フランス語で Charles le Simple ですが、もともとは気さくで正直という意味合いのあるものとして Simple が使われたそうです。単純なおばかさんだから、というわけではなかったのですね。はい、閑話休題。教会建築の話しに戻ると、時代とともに増築やら修復やらで、その時代時代の様式を取り入れていっていることが多いようで、この教会はこの時代のものと決めつけられないことも多々あるようです。大雑把に言って、教会建築の様式で、 ロマネスク様式は、10世紀から12世紀頃に多く取り入られ、 ゴシック様式は、13世紀から中世の終わり頃まで、さらに ゴシック・フランボワヨンのように装飾性を増して17世紀、18世紀へと 続いていったと言われています。 そのほかに、ネオ・ゴシック と言う言葉もありましたが、 この間、朝市で偶然撮った教会が後で調べると、 ネオ・ゴシック様式の教会だと紹介されていました。 あの動画、我ながら、滅茶すっぴんのフランスと言う感じになったと自負しております。動画撮影はあくまでも素人ですみません。ロマネスク様式とゴシック様式が重なった時期もあります。南仏では、さらにビザンチン様式の聖堂もありました。 ちなみに、ロマネスク様式 と日本語で言われていたので、単純に スティル・ロマネスク とフランス語で言ったら、フランス人に笑われてしまいました。フランス語でロマネスクと言うと「小説的な、情熱的、空想的、」な意味として 使用されているようで、建築用語としてはないそうです。バカにされ、笑われては一つ覚えていくのでございました。 なので、フランス語では、l'art roman, l'architecture romane と呼ばれています。 日本にロマネスク様式と言う言葉が使われたのは、英語圏の影響でした。 イタリア語では arte romanica だし、なぜに英語圏で、ロマネスクになってしまったんだろう。ドイツ語は、römische kunst 素人動画ですが、良かったら、ご視聴ください。