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カテゴリ:Europe
昔、デンマーク人の母とドイツ人の父を持つ長身の友人が、デンマーク語は
とても滑らかで美しい言語だと言っていたので、ずっと気になっている。 苦労して覚えるフランス語の男性名詞と女性名詞、これがデンマーク語では また異なることがある、と言っていたので、それも気になっている。 なので、ちょっと調べてみた。 フランス語で説明されているデンマーク語の音声付のサイトを見つけた。 LANGUE.CO http://langue.co/danish_lesson5.php 「姉妹」の発音がかなり英語と同じ。書くと、sØster。 このサイトの例文に「日本人は親切だ」(友好的とかいう意味らしい venlige)が あって、なんだか嬉しくもなる。 さて、デンマーク語独習コンテンツ http://el.minoh.osaka-u.ac.jp/flc/dan/lesson02/04.html という日本語のサイトにはデンマーク語には共生名詞と中性名詞があると書いてある。 共生名詞って何?また、フランス語とほんとうに違うんだ。 もう、20年ほど前、いや30年は経ってしまったのかな、パリ市内に住んでいた頃、 その頃、パリからアンデルセンの国の首都コペンハーゲンに行ってみた。 ホテルは超清潔だった。 お店でクレジットカードを失くしたが、お店の人がちゃんと保管してくれていた。 ホテルのレセプションの生真面目そうな青年は「デンマーク人は正直ですから」と 親切にお店に電話をしてくれた。 バスに乗ったら、運転手の人はずっと英語で話しかけてくれて、降りる時になんと バスの切符をプレゼントしてくれた。その人は英語を覚えるのに7年はかかるねえ、 と言ったのを覚えている。 チューリップの花を飾っている美容院に行ってみた。化粧はしてないが、美しい女性が 髪をカットしてくれて、始終優しい笑顔で気持ちよくお店を出たのを覚えている。 コペンハーゲンから港沿いのレストランで魚料理を食べ、 フェリーボートでスエーデンのマルメにも行ってみた。 お天気がよくて爽やかな気候に恵まれた。 スエーデン、富山県が昔、雪対策のためにスエーデンではどうしているのか、と 参考にしているという話を聞いたことがある。今でも続いているのかな。 また、こちらは耳に痛い話だが、昔、スエーデンの森からごっそり木材を輸入し、 日本がヒンシュクを買ってしまった、という話もある。 パリ市内で英語を教えてくれたアメリカ人青年はご先祖さまがデンマーク人だと いい、私がコペンハーゲンのガイドブックを持っているのを知って嬉しそうだった。 そんなことを思い出す。もう、以前にもブログに書いたかもしれない。 北欧と言えば、ヴァイキングの歴史。 日本が平安時代(794-1192)の頃、古今和歌集の紀貫之が活躍していた時代に 北欧のヴァイキングたちが船に乗ってあちこちに遠征をしていた。 ヴァイキングの大男ロロン Rollon が911年にカロリング朝の西フランク族 のシャルル三世、別名、単純王から土地と娘のジゼルを嫁にいただいて サン・クレール スュー エプトゥ (Saint Clair-sur-Epte) の条約を結んだ。 これがノルマンディの発祥となった。 ヴァイキングに土地を与えるかわりに、新たにやってくるヴァイキングから フランク族の領土を守る、という任務を大男ロロンと仲間たちはこなしたらしい。 翌年の912年、ロロンはルーアンでキリスト教の洗礼を受けたそうだ。 大男ロロンはキリスト教徒の洗礼を受けて、ロベール一世と名乗る。 この人にはたくさんの伝説が残されているらしく、歴史家の間でも議論が叩かれるという。 まあ、昔のことだしね。 Saint Clair-sur-Epte サン・クレール スュー エプトゥという場所は なだらかな丘陵が広がる。こんな場所を馬に乗って散歩できたら気分いいだろうなあ、 と思った。夜になると、かもしかが決まった時間に出てくる。 時計もないのに、不思議だった。 サン・クレール スュー エプトゥ (Saint Clair-sur-Epte)に古い教会がある。 サン・クレールはイングランドからフランスに渡ってきたキリスト教徒の僧侶の名前。 ケント出身で、845年に生まれたそうだ。 聖クレールはイギリスで結婚を迫られ、その女性から逃げるためにフランク族の国まで 来たらしい。女性は貴族出身者で、聖クレールが逃げるので、しまいに頭にきて、 兵隊を送って彼を殺害までしようとしたそうだ。 ただのストーカーどころじゃない物騒な話。 聖クレールが女嫌いになっても不思議じゃない。 これは、サン・クレール スュー エプトゥ (Saint Clair-sur-Epte)の町役場の情報。 町役場はノルマンディ発祥の地となったので、漫画制作にも援助したようで、 それで私も興味を持った次第。アマゾン・フランスで見つかるかどうか。 実は、その小さな町の芝生のある公園の一角に石造りの小さな水場があり、 お清めの場とされており、夫ははだしで歩いて水を手にして清めたのだが、 なんともなく、私は足の裏を切ってしまって、少し血を流した。 たいしたことはなかったが、結構痛くて、びっこをひきながら公園を でた。やっぱり、女嫌いだったのではないか、と思う。 サン・クレール スュー エプトゥ (Saint Clair-sur-Epte)の 教会には聖クレールの遺骨が横たわっている。ミイラ化している。 正直言って、相当、修復の必要な教会だった。 近くの大きな民家の敷地には、当時のヴァイキングたちが作ったらしい石を積んだ 釜戸があった。パンを焼くためのものらしい、とその敷地の所有者が教えてくれた。 ヴァイキングはロシア、イングランド、やイタリアにまで遠征したらしい。 いや、ヨーロッパはほぼ全域にいっているのだろうか。 船、馬。船の技術は相当優れていた。 彼らは商業にも実は優れていた、という。 とはいえ、略奪はやはりかなりしていたらしく、当時の教会の文字を書ける僧侶たちが 恐怖にまみれて残した文献が残っているそうだ。ヴァイキング擁護派の歴史家は 多少の誇張もあるのではないかと思っているらしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 2, 2017 06:20:19 AM
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