|
カテゴリ:見聞
五木寛之という小説家が言ったらしい言葉に何故かハッとさせられることがある。
年をとって歯が欠けても長生きしている人はいるんじゃないの、とか 断捨離と言うけれど、手紙や本を大事にとっておいて年をとってから 眺めるのも楽しいことではないか、とか。 私は日本からフランスに一緒に持ってきたかった本がたくさんあった。 日仏間を引っ越しするたびに一緒に旅行した日仏大辞書もある。 また、いつか日本に戻って暮らすこともあるかも知れない、だから、本の数を 抑えておこうと思ったりもした。 高校生の時に読んだ源氏物語、歴史の文庫本や萩原朔太郎など高校の教科書に 載っていそうな日本人の詩人の本などもほんとうは持ってきたかった。 梅原猛の本も持ってきたかった。渡部昇一の「知的生活のすすめ」も大好きだった。 ほかには、クセジュから出ていた「印象派主義」の本。 今は絶版なのだろう。 実はパリ大でその本の著者である教授にサインをいただいたことがある。 その方の講義のあとで、「実は日本語に訳された本を読みました、 せひサインをください」とお願いしたら、 先生は嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして笑ってくださったそんな良い思い出がある。 でもサインの入ったその貴重な本は4度目に渡仏した時、日本に置いてきてしまった。 フランスに持ってきた本はやはり高階秀爾の「名画を見る眼」。 絵の構造がどうである、というような絵画技術について書かれた本ではない。 ファン・アイクやダ・ヴィンチのような画家がなぜこのような題材を選んだのか あるいはどのような状況で描かれたのか、という視点で書かれている。 高階秀爾と言う人は1950年代中期にパリ大やルーブル美術館で美術史を5年間学んでいる。 当時、フランスに行って学ぶ人は決して多くはなかっただろう。 一枚一枚の絵画を一般的な教養知識として得るための本ではなく、 一枚一枚の絵画に潜む謎を通して著者の読みの深さに触れることができる点が 感動的な著書である。 自分はたぶん中学生か高校生の時にこの本に出遭った、と思う。 この本は素晴らしいから絶版になったりしませんように。 日本の財産だと思う。 なんというか、コロンボ刑事か探偵コナンが執拗な観察眼で一枚の絵に 宿る秘密を紐解いて見せてくれるような感じなのである。 だから、一見難解な文章もつい夢中になって読んでしまうのである。 いや、というか、文章は美しく読みやすい。 高階秀爾名誉教授を世界の人気者になってはいるが、 探偵コナンに例えてもいいのか..と、ふと思いつつ. フランスでもこれらの絵画をこれほどの洞察力で書ける人は もしかしたらいないんじゃないか、とすら思えてしまう。 はあ、断捨離に挑戦しても本はねえ、捨てられない... もうずいぶん昔、日本にいた時、ある本好きのおじさんが、 「僕は輸出入で使用するようなタンカーを何個か購入して、そこに本を入れてるよ、 家にはいりきらなくなっちゃてさ」 なんて言っていたのを思い出す。 あの人には負ける。たぶん一度しか話をしていないから、 もう顔も覚えていないけど、タンカーの話が強烈だったので覚えている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[見聞] カテゴリの最新記事
|