|
テーマ:心の病(7311)
カテゴリ:昔話
父が亡くなってもう数十年になります。
亡くなったとき、ほっとしたと同時に強烈な寂しさを覚えたのを今でも忘れません。 しかし、当時、私はその寂しさを凍てつかせて何もなかったような顔をしていまいました。 そうせざるをえなかったのは今思えばそうすることを繰り返して育ったからでした。 実は父はアルコール依存症でした。 といってもそれがわかったのは死後、心理学の勉強をしてからです。 私が幼いとき、やさしかった父は酒を飲むと酒乱になり、母に乱暴をふるうかと思うと、風邪で発熱して朦朧としている私にウイスキーを一気飲みさせました。 しかし、母は乱暴されたことを誰にも話さず、私からウイスキーをとりあげることもしませんでした。 今、思うとおかしなことですね。 でも、そうしてしまうのも仕方がないかもしれません。 本当にしらふのときはやさしかったんです。 それがたった一滴のアルコールで人間が変わるのです。 そのため、父は仕事を首になりました。 当然、家庭は暗くなりました。 思春期のとき、必死に父の背にまたがってなぐりつづけ、泣きながら「もう飲まないでよ!」と叫ぶこともありました。 そのときの母と兄弟はぼんやりと座り込んでいるだけでした。 それでもしらふの父はとてもやさしかったので大好きでした。 この矛盾した心はその後の私の人生に大きな影響を与えました。 ちなみに私は母に言われて兄弟と連れ立ってAA(アルコホリクスアノニマス)という自助グループの家族会にも出席しましたが、まだ中学生の私には何を話しているのか理解できませんでした。 確か、そのとき隣に座っていた人も「まだ若くて何のことやらわからないでしょうね、困ったわね」と言っていたのを今でも思い出します。 なんで母は出席しなかったのでしょうか? それも今思うとおかしなことですね。 大好きなのに大嫌い。実際あったのに隠さなければならない。 これがアルコール依存症が子供の心に与える影響です。 自助グループの意義がわかるようになったのは私自身が数十年たって病を起こしてからのことでした。(ちなみに私はアルコール依存症ではなかったのですが。) 話が長くなりそうです。 アルコール依存症の恐ろしさは伝えきれないほどのものなので、数回に分けてこれからお話します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[昔話] カテゴリの最新記事
|
|