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テーマ:心の病(7246)
カテゴリ:昔話
何もしたくないなあと思っていると私の場合は本当にさぼってしまいます。
あっという間に3月も半ばに突入しそう。 外は梅や桃の花がきれいに咲いています。 この陽気の勢いだと桜も間近かもしれません。 今日はなんの話題にしようかと思いましたがリストカットの話にしましょう。 キットカットではありませんよ。 無性に自分のことを切り刻んでしまいたい症候群とでもいいましょうか。 私の古き知人にそれこそ体中にリストカットの跡がある人がいました。 首までも切ったことがあります。 それでも生きています。 子供も旦那さんもいます。 いつぞや何でリストカットするの?とたずねたことがあります。 そしたら「生きているっていう証」だからと言われました。 人によっては自殺にもつながりかねないこの行為を生きているっていう証とは思えないでしょうが、実はそうなんです。 そこまで行き着く理由は様々ですが、その人の場合は、誰からも見捨てられている自分がなぜ生きているんだろうかということを確認したいと思うと無意識のうちに自分のことを切ってあたたかい血が流れるのをみて安心していたということでした。 生きたいから死にたいという(死にたいというのは本当ではなくて単に血を見たいだけなんですが)裏腹の感情がそこにあるのです。 なるほど。 確かに、私が入院中に出会った女性で、親の下手な愛情の発信ゆえに、愛情不足でリストカットをする人がいました。 特にひどかったのはいつも母親との面会後の夜でした。 ある日のこと、日中に無表情の顔で「今日、母にあったんだけど、愛してるっていってくれなかったの、そんなのわかっていたことなんだけどね」と言う彼女にいやな予感があった私でした。 事実、その晩、眠ったまま、トイレ中のトイレットロールをまきちらして、どこに隠し持っていたのか、剃刀で手首を切って倒れていました(というかすやすや寝ていました)。 もちろん、死ぬ気はありませんから、それどころか、「私はここにいるのよ!!!!」という強いアピールが舞い上がるトイレットロールの切れ端に感じましたので、滴り落ちていた血をみても私はそれほど怖いとは思いませんでした。(もっとも客観的に見て出血が大量でなくてよかったですが・・・) 夢遊病というのをみたのはそれがはじめてでしたが、それぐらい彼女にとっては日中の母親の態度はつらい出来事だったのです。 無意識が顔をみせやすい睡眠状態になったときにことをおこしたのは至極当たり前なことでした。 現に彼女は目をさましたとき、なぜ自分の手首が包帯で巻かれていたのかわかっていませんでした。 自分の感情を押し殺せば押し殺すほどリストカットはその感情を外に出す1つの手段として行われるということです。 今、私がまたリストカットに悩む人に会ったらきっと言うでしょう。 「生きたいんだね。ここにいるよって言いたかったんだね。さみしかったね。」 身近にリストカットをする人がいたら「なんでこんなことするのよ!」と怒る前にそういう暖かい言葉をまずかけてほしいと願います。 理解するのは難しいかもしれませんが。 そう言ったら、もしかしたら、それまで隠していた感情をリストカットという形ではなく、みせるようになるかもしれませんから。 ただそれが新たな自虐的な行為に転移することもありうるので、必ずしも一発で感情がごく普通に表に出ることは期待しないで下さい。 それでも、一歩前進したと考えましょう。 キットカット・・きっと勝つ。きっと克服できる。 なんちゃってね。 ちなみにリストカットをした前述の知人ですが、リストカットをしたことを後悔し、子供になんていえばいいのだと悩んでいた時期がありましたが、私はこう言いました。 「あなたが言うとおり、時期をみはからって、生きたくて苦しんでいたからやった、と素直にいえばいいと思う。そのかわり、もう二度としないって自分に言い聞かせることは必要。子供を悲しませてはいけないから。」 なんか書いていて、伝えるのって難しいなと思いました。 それほどリストカットは一言で言い表せるようなものではないんですよね。 私の書いたことはほんの一部にすぎず、もっと深い理由があるかもしれないしないかもしれないので、共感できる方だけに先にお願いしたことは実行してみてください。 ではまた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 8, 2008 05:31:52 PM
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