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テーマ:心の病(7246)
カテゴリ:昔話
みなさん、20年前ぐらいからアダルトチルドレン(AC)という言葉を耳にされたことがあるでしょう。これは米国のソーシャルワーカーであるクラウデア・ブラックら臨床心理にたずわさっている人々が称した言葉で、アルコール依存症患者の子供として育ち、現在は成人に達した人々のことをさし、英語で Adult Children of Alcoholics と言います。その頭文字を取って、ACOAとかACとも書いたり、そのまま、アダルトチルドレン(1人ならアダルトチャイルド)と言ったりします。
クラウディア・ブラックは、多くのACの少年期を調査して、それまでの一般常識であった、酒害家庭の子供たちは逸脱的な反社会的行動を起こしやすいという説を訂正して、著書 "It will never happen to me"(1981)(邦訳、「私は親のようにならない」、1989)で、これらの子供たちは目立つけれども、むしろ少数派であると指摘しました。そして、目立たない大多数の子供たちに対してもケアが必要であると注意を喚起しました。というのは、これらの子供たちは、混乱した家族システムに適応して少年時代を生きのびますが、思春期以後に、特徴的な感情と行動の障害を起こしやすいからです。 ブラックは、ACの挫折や障害の起源を子供時代の機能不全家庭への適応様式にさかのぼって考察し、酒害家庭の子供たちは、暗黙のルールとして、「しゃべるな。信じるな。感じるな」という信念を持っていることが多いと述べています。また彼女は、子供たちの家庭での役割を「責任を背負いこむ者」、「順応者」、「なだめ役」、「行動化する子供」の4タイプに分けて分析しました。 ブラックが指摘し解説したAC問題は、精神医学の研究者や専門家よりも直接臨床にたずさわるソーシャル・ワーカーに受け入れられ、さらに臨床の場を離れて、マスコミでとりあげられました。1980年代前半には、AC関連の書籍がベストセラーになるなど、いわば「AC運動」が米国一般市民の中に浸透し、全米各地に多数のACの自助グループが生まれました。 そういうわけでACは、診断名ではありません。むしろ「自分の生きにくさの由来を理解し、成長の出発点とするための自己認識、自覚」と言ってよいでしょう。「AC症候群」という用語も使われてはいますが、その概念すら定着しているとは言えません。たとえばAC問題と同様の現象は、酒害家庭以外の機能不全家庭の子供たちにもおこりうるわけで、実際、AC概念は1980年代後半に米国では Adult Children of Dysfunctional Family(機能不全家庭出身の成人)に拡大され、現在では、ACは通常はこの意味で使われています。この場合には、「機能不全家庭」という漠然とした言葉のために、ACという用語の概念がますます拡大することになります。なお両者を区別するときには、ACOA(酒害家庭)、ACOD(機能不全家庭)という短縮形を用います。 本来、Children of Alcoholics(酒害者の子供) というフレーズの Children は親子関係の子供を意味しており、若年者に限らないのですが、Children の語感から未成年をイメージしやすいために、その子供たちが大人になった人々を意味する Adult Children of Alcoholics が使われるようになりました。そして、その人々と同じような立場にあり、同じような問題を持つが、アルコール以外の問題を含めた機能不全家庭に育った人を意味する Adult Children of Dysfunctional Family という言葉ができました。そして、Adult Children of Dysfunctional Family という言葉の後半部分を省いた Adult Children という用語が同じ意味で使われるようになりました。ただし英語の Adult Children は、前述したように「成人した〇〇の子供たち」という意味で用いられる普通名詞の日常用語です。アダルトチルドレンという言葉を理解するためには、この英語の起源と一連の流れを知っておくことがとても重要です。 以上は以下のURLから引用させていただきました。もう少し詳しくお知りになりたい方は そのURLをごらんください。 赤城高原ホスピタル さて、問題はここからです。 先にも書いたようにACは病名ではありません。 ですから、自分がACであると名乗ることも名乗らないことも自由なのです。 ただ、ACであると名乗り、12のステップというAAにも使われている自分の苦しみを解き放つステップを自助グループなどに参加して歩むことが自分にとって救いであるならば、ACと名乗ってかまわないと思います。 私はちなみにACと名乗っていません。 なぜならば、ACというものにいつまでもしがみついていては私はAC以上の人間に成長し得ないと思ったからです。 もちろん、たまに12のステップを読み返して、今はどんな状態にあるのかと確認したりすることはありますが、あえて自分はACであると公言することはありません。 かつては公言していました。 公言することで守られていたからです。 病名をつけられると何か安心感を得るのと同じようにACと名乗ると自助グループの仲間もできますし、苦しんでいるのは一人ではないという気持ちになれたためです。 つまり一人でACと名乗らなくてもやっていけるという自信がもてた時点で私はACを名乗るのをやめました。 よって、自分の苦しみの段階がどの段階にあるのか吟味してからACと名乗るか名乗らないかを決めていいと私は思っています。 酒害の家庭については自分の苦しみの段階を知るにはまずは先に紹介した「私は親のようにならない」をお勧めします。 私のちょっとした言葉があなたの救いとなりますように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 7, 2008 09:27:59 AM
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