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テーマ:自閉症児と我が家の日常(647)
カテゴリ:自閉症と共に
女房宛に、一見奇妙な新年欠礼状が届いた。差出人が書いてない。そして大きな字で「Kが病気で亡くなりました」と書いてある。「これはきっとNさんとこやわ」まだ自閉くんが小さい頃、障害児向けのプール教室で一緒だった子だ。それにしても、欠礼状を印刷するなら差出人は必ず書くものだ。それがないって、まさか離婚した?などとつまらない憶測をしてしまう。
実際、当時は障害のある子供が産まれた頃は、それを理由に離婚して、母親に全ての負担がかかる場合も少なくなかったと聞いているし、また知っている。何とも不条理なことだが、それが現実だった。コミュニケーション能力に障害がある場合、体の不調を訴えることができずに重態化して、死亡することもあるという。「障害児は寿命が短い」ということもまことしやかに言われていた。 子供を失うことは親にとって辛いことだが、起きてしまったことは戻しようがない。ちょうどうちの自閉くんも授産施設から「今日は頻繁にトイレに行くのですが、下着を届けてもらえませんか?」と電話があり、医者に連れて行ったらしい。熱もなく、胃薬を処方しておきます、で終わったそうだ。顆粒を飲むのも特に苦労はしないが、水を飲むように言わないと、口に放り込んで終わり、になってしまう。 熱を測ったり、咳やくしゃみの状態を見るとか、何らかの情報は親の目から見て、になるから本人の状態とはどうしても遅れが生じる。だから精神的ストレスの時にはパニックにもなる。多分彼は「何でわかってくれないの?どうすればいいの?」と訴えているに違いない。大声であったり、自傷行為であったり。 で、わかっているはずの我々は「また始まった」と冷ややかに見ている。この落差!生きにくいはずだ。 どうしたら彼らはもっと楽に生きられるのか。彼が産まれてから40年、かなり自分も変わったつもりだけれどまだまだとしか言いようがない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年12月01日 23時14分35秒
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