|
カテゴリ:カテゴリ未分類
これは理屈ぬきで誰もが楽しめそうな単純明快なアクション映画である。
この種の映画には、入り組んだストリー展開のおもしろさや、登場人物の複雑な心の葛藤がない分、魅力的なヒーロー、ヒロインの存在が不可欠となる。 誰もが日常生活において、とうてい体験できそうもないことを映画の中の主人公になりきって擬似体験してみたい、という想いがあるからである。 さて、私たちが現実から、一旦離れる為には、私たちの日常生活では到底出会うことなどありえないような親しみやすさの中に、一種のカリスマ性を感じさせるほどの近寄りがたさを合わせ持った人物が主役であることが必要となるが、この映画はこれらの要求を十分満たした内容になっている。 南米コロンビア、ボゴタで、ある出来事がきっかけで知り合い、恋に落ち、お互いのことをよく知りもしないで、すぐに結婚してしまったふたり、 ジョン・スミス(ブラッド・ピッド)、 ジェイン・スミス(アンジェリーナ・ジョリー) ところがある日、お互いの本当の職業が、プロの殺し屋であることを知る。 ふたりともプロの殺し屋の中でもコンピューターをくしし、近代兵器を自由自在に操ることができる、ずば抜けて優秀な殺し屋であった。 お互いの秘密を知ってしまった以上、お互いの組織の秘密を守る為、殺し合わなければならない。 絶対に拒否は許されない。 もし拒否したら、お互いの所属する組織から命を狙われることになる。 果たして、愛し合うふたりは、お互いを殺す事ができるのか。 このような最悪な状況に陥ると、この夫婦の背負っている心の重荷の重圧から、物語の展開が急に暗くなるのが常であるが、この映画は全く暗くならない。 何故、暗くならないのか、それは、ジョン・スミスとジェイン・スミスは、簡単に抹殺されるような人物ではないからである。 要するに、映像が創りだした超人なのである。 超人が死ぬ筈がない、という安心感が画面全体に溢れたつくりになっている。 ブラッド・ピッドとアンジェリーナ・ジョリーを見比べると、俄然、アンジェリーナ・ジョリーの方が、輝いて見える。 彼女を輝かせる為に、ブラッド・ピッドが必要だったような気がしてくる。 彼女の顔立ちと身のこなしは、東洋の神秘を漂わせている。 底知れない強さを感じさせる人物とは、身体全体に神秘的なものを漂わせている人物であって、けっして大柄で、筋骨隆々の身体の持ち主などではない。 やはり、「超」とは、「神秘性」なのである。 この映画を観ているうちに、アンジェリーナ・ジョリーの顔が奈良の大仏の顔に見えてきた花畑風来であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|