キューポラのある街 1962年 日本映画 監督(浦山桐郎) 出演(吉永小百合/浜田光夫)
私達が日常生活に疲れた時、自分自身の原点を知ることによって、見失った自分を取り戻すことがある。原点さえ知っていれば,軌道修正のヒントをつかめるからである。 この映画は、女優吉永小百合の原点である。名匠浦山桐郎監督は、吉永小百合の隠れた資質を巧みに引き出し、後世に残る名作を創り上げた。カラーではないモノクロの映像からは、構図の良さと量感のある画面構成にによって、この時代の日常生活が現実味を帯びて伝わってくる。 浦山桐郎は、この「キューポラのある街」で監督デビューし、同じく吉永小百合主演の「夢千代日記」を最後に、この世を去った映画監督である。生涯で監督した作品は、9作。寡作であるということは、自分の気に入った作品しか撮らなかったということを意味している。 当時17歳の吉永小百合が、この物語の中では14歳の中学3年生のジュンの役を演じている。「キューポラのある街」と「夢千代日記」を観くらべてみると、ジュンが自分自身の原点を忘れることなく成長していった姿が、夢千代ではないかと思えてくる。映画「男はつらいよ」のフーテンの寅さんが、渥美清そのものであるように、「夢千代日記」の夢千代は、吉永小百合そのものであると感じさせるからである。 昭和30年代。経済高度成長下の日本。キューポラと呼ばれる鋳物工場の煙突が立ち並ぶ埼玉県川口市。そこは鋳物職人達の町でもあった。 ジュン「勉強しなくても高校へ行ける家の子に、負けたくないんだ。」(ジュンは、高校進学を目ざす中学3年生の女の子。一流高校県立第一へ確実に受かるほどの学力の持ち主。ジュンの家は貧乏人の子だくさん。ジュンには弟2人、それにもうひとり、母親から赤ちゃんが生まれ出ようとしていた。ジュンは、弟達のめんどうをよくみる明るくてしっかり者のおねえちゃん。) ジュンの父親「ダボハゼの子はダボハゼだ。中学出たら、みんな働くんだ。鋳物工場で。」 (ジュンの父親は、鋳物職人。近代化の波についてゆけない職人気質が、家族の生活を窮地に追いやってゆく。) ジュン「勉強したって意味ないもん。やだよ。あたい、もう、みんなやだよ。」(酒の力を借りて、現実から逃げる父親。競艇で、わずかな生活費を無くしてしまう父親。飲み屋で、酔っ払い相手に働く母親。逆境にもめげず、あんなに元気だったジュンが崩れ始める。) ジュンの作文「私には、解らない事が多すぎる。第一に、貧乏な者が高校へ行けないということ。今の日本では、中学だけでは下積みのまま一生うだつがあがらないのが現実なのに、下積みで、貧乏で、喧嘩したり、お酒を飲んだり、博打をうったり、短気で気が小さく、その日暮らしの考え方しかもっていない皆弱い人間だ。元々弱い人間だから、貧乏に落ち込んでしまうのだろうか。それとも貧乏だから弱い人間になっていまうのだろうか。私にはよく解らない。」 (父親から、ダボハゼの子はダボハゼだと言われたジュンの苦悩。) この映画には、ジュンの友達のヨシエと弟のタカユキ(市川好郎)の友達のサンキチが、父親といっしょに北朝鮮へ帰る話が出てくる。当時の社会問題をジュン達の日常生活にからませることによって、この物語をスケールの大きなものにしている。 ジュン「一人が5歩前進するより、10人が1歩前進する方がいい。とにかくさ。あたいは、ダボハゼじゃないから安心してよ。かあちゃん。」 (進学を諦め、就職することにしたジュン。定時制高校で、働きながら勉強する事に生きがいをみいだしたジュン。) ジュンとタカユキが、元気に走ってゆくラストシーンからは、逆境を切り開いて力強く生きてゆく2人の未来を暗示させる。