カブトムシ
そのころ、早也は、宿坊の庭にある、どんぐりの樹をみつめていた。 夏の夜、どんぐりの樹のまわりを、カブトムシがぶんぶん飛び回っている。 木の下には、ひっくり返ったカブトムシが息絶えていたり。 きれいによく乾いている。美しいので、ニ、三日、玄関にオブジェとして飾りたくなる。 翌朝、アリンコたちが、朝からせつせと働いている。 カブトムシを埋めたいときは、アリの巣の近くにそっと置いてあげる。 あとは、勝手に、アリンコたちが、集まり、埋め、分解してくれる。 蝶(ちょう)、ダンゴムシ、アリヂゴク、蜂、カナブンたちも、そのうごきをいよいよ活発にしてきた。 夏の庭を心しずかにながめる。 どうぶつ、こんちゅう、花、生きものは、みな、生まれて、思い切り働いて、鳴いて、歌って、踊って、糞して、戦って、セックスして、死んで、そして、また土に帰り、つぎの いのちへと、バトンをつなぐ。 そこには、悲哀など、まったく、ない。 四季、あたりまえに、それらは繰り返される。 にんげんも、ほんらい、同じである。 ゆいいつ、人間にのみ許された特権といえば、 「悩み、解決方法を見出し、笑う」ということだと思う。 これは、虫や植物、ほとけさまにも、できない、 にんげんだけの特権である。 ならば、せっかく、今世、人間として生まれたのだ。 その幸運(けして不運ではない)に感謝し、 おおいに、悩み、解決し、笑おう。 せっせと、あるいは のんびりと、働いて生きよう。 せっかくだから、可々大笑、可々爆笑して、逝(い)こう。 あっという間に生き、あっという間に死ぬんであるから、 いちにち一日を、大切に生きよう。 で、なるべく長生きして楽しもう。 恐れることはまるでない。 人間が終われば、次のステージが待っている。 そこで、また、いっしょに遊ぼう。 お庭に出て、早也は思う。 「たとえば、こんなふうに、カブトムシが教えてくれる。」 山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)。 森羅万象(しんらばんしょう)、これみなわが師なり。 日本天台宗、最澄さまの教えである。 日本では、すでに、最澄さまが「密教」を広め、南都仏教(奈良仏教)を制圧、吸収しつつあつた。 しかし、空海の灌頂(しゅぎょう)は、未だつづいている。