★シナリオ千本読み【015】晩春|野田高梧
いま私は映画の脚本∥シナリオを1,000本 読む作業をはじめました。 シナリオは映画の原点にあたります。 ここから映画の楽しさを引き出す作業です。 私は夜ごと千夜を映画と逢えます。 しあわせなことです。ありがとう。―――――――――――――――――――――――――――――――――今日から三日間は監督小津安二郎作品を読みます。と申しましても小津さんには「野田高梧noda-kougo」という超ベテランのシナリオライターが座して待つという感じでありまして――。日本映画界の華やかな時代には、大抵の場合ちゃんと気の合うというかコンビを組むというか、一緒に組むシナリオライターがおります。気心の知れたシナリオライターが側にいれば、ホテルに泊まり込んで丁々発止やりやすい―ということか。たとえば―監督○内田吐夢には鈴木尚之、監督○溝口健二には依田義賢、監督○山本薩夫には山形雄策、監督○黒澤には橋本忍や小国英雄がいっしょ、そのほか―。監督○小津には野田高梧というのが戦後の場合は慣例のようでありました。ここのスペースでは、私はシナリオを読むのですから「晩春」野田―というわけであります。しかし監督の資料はありましても、シナリオライターの場合は極小であるか全然ないか。ま―普通はありません。作品は――父と娘と二人暮らし。娘は27才そろそろ結婚の年齢です。娘は父に気遣って―まだまだと思うし、父は世間体もあるから―といっても嫁にいかれちゃ、一人ぼっちでさみしいもんだな―ま、それもいいかと思ったりもしてみます。この父と娘の思わくというか、攻め合いというか、この作品の語りたいところ―です。このへんの「語りぐち」に愛情がこぼれていているのです。野田は「ここのところ」が実にうまいのです。大人同士の、父と娘の間の、気づかいだろうか。これは絶品。そうだね―日本人は「俳句」でみつめる心というのがあるから。なにか妙に奥がふかいのよね。凄さがあります。セリフがくりかえしくりかえし――私もつい、そうなんだ、そうなんだ、と。 私に相づちをうたせます。映画では―笠智衆さん原節子さん。知り合いの映画ファンがあるとき小津映画をビデオで音をゼロにして見たんだと―。彼いわく―― ありゃまるで音楽だね。 きちんとリズムがあるんだよ。それとあとひとつ――野田さんには「シナリオ構造論」というシナリオを学ぶには教科書みたいな名著があります。私も読みました。今後どこかでふれます。もしあなたもシナリオに関心があったらこの名著にあたります。最後までありがとう。シナリオ掲載誌★シナリオ作家協会発行|野田野田高梧、人トシナリオ1993-9-24|映画の公開は昭和49―――――――――――――――――――――――――――――――――― 次回のシナリオ★2日間で野田作品から|麦秋|東京物語|を読みます。●おわびいつもアクセス本当に有難うございます。このスペースは文字通り「映画」から何を引き出すか正直タイヘン―でもおかげで、楽しいです。誰かが「千日の夢が見られる。うらやましい」と、おっしゃいました。この原稿の書き込みは、毎朝6時から7時の間です。校正もそこでやるから、何度か入れたり消したりの繰り返しその時間にアクセスされたらどうなるのかな―と思って。申し訳ないと思います。スミマセン。お暇のとき、のぞいてください。お願いします。