☆(SACD)ポリーニ&ベーム、アバド♪ブラームス;ピアノ協奏曲第1番第2番!ESOTERIC SACDハイブリッド盤、9/14リリース!
☆世界的名ピアニスト;マウリツィオ・ポリーニの名盤『ブラームス;ピアノ協奏曲第1番第2番』のESOTERIC SACDハイブリッド限定盤が、明日14日にESOTERIC製品取り扱い店などでリリースされる。『ブラームス;ピアノ協奏曲第1番』は、ベーム指揮;ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との共演。『ブラームス;ピアノ協奏曲第2番』は、アバド指揮;ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との共演。■70年代のポリーニを総括するブラームスの大作2曲の名演、初のSuper Audio CDハイブリッド化。ポリーニ追悼リリース。【収録曲】●ヨハネス・ブラームスJohannes Brahms【DISC 1】ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品15Piano Concerto No. 1 in D minor, Op. 15[1] 第1楽章: Maestoso[2] 第2楽章: Adagio[3] 第3楽章: Rondo (Allegro non troppo)【DISC 2】ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83Piano Concerto No. 2 in B flat major, Op. 83[1] 第1楽章: Allegro non troppo[2] 第2楽章: Allegro appassionato[3] 第3楽章: Andante[4] 第4楽章: Allegretto graziosoマウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)Maurizio Pollini, Pianoウィーン・フィルハーモニー管弦楽団Wiener Philharmoniker指揮:カール・ベーム [第1番]Conducted by Karl Böhm指揮:クラウディオ・アバド [第2番]Conducted by Claudio Abbado[録音] 1979年12月19日~21日(第1番)、1976年5月24日~26日(第2番)、ウィーン、ムジークフェライン、グロッサーザール[初出] 第1番:Deutsche Grammophon 2531 294(1980年) 第2番:Deutsche Grammophon 2530 790(1977年)[日本盤初出] 第1番:グラモフォンレコード 28MG0006 (1980 年 11 月 28 日) 第 2 番:グラモフォンレコードMG1083(1977年7月1日)[オリジナル・レコーディング][プロダクション&レコーディング・スーパーヴィジョン] ハンス・ウェーバー(第1番)、ライナー・ブロック(第2番)[トンマイスター(バランス・エンジニア)] ギュンター・ヘルマンス(第1番)、クライス・ヒーマン(第2番)[Super Audio CD プロデューサー] 大間知基彰(エソテリック・マスタリング・センター)[Super Audio CD アソシエイト・プロデューサー] 吉田穣(エソテリック・マスタリング・センター)[Super Audio CD リマスタリング・エンジニア] 東野真哉(エソテリック・マスタリング・センター)[Super Audio CD リマスター] 2024年6月 エソテリック・マスタリング・センター、「Esoteric Mastering」システム[解説] 浅里公三 広瀬大介[企画・販売] ティアック株式会社[企画・協力] 東京電化株式会社■20世紀後半にセンセーションを巻き起こしたポリーニのピアニズム 2024年3月、82歳で亡くなったイタリアの名ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニ(1942-2024)。ポリーニが一躍その名を世界にとどろかせたのは、1960 年のショパン国際コンクールで優勝を飾った 18 歳の時のこと。審査員全員一致の推挙であり、しかも審査員長だったルービンシュタインの「私たち審査員の中で、彼ほど上手く弾けるものがいようか」という言葉は、ポリーニという存在がいかにセンセーショナルであったかを物語っています。ミラノのヴェルディ音楽院卒業のはるか前の9歳でデビューを果たした若きピアニストは、しかし、この直後に公の演奏活動から身を退き、レパートリーの拡充を含めさらに自らの芸術を深めるための研鑽を続けたのでした。そしてそのドロップアウトの期間を経て1968年に演奏活動を本格的に再開し、1971年にはドイツ・グラモフォンからストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの 3 章」でデビューし、それまでの演奏・録音史を根本から塗り変える鮮烈なアルバムを続々と発表し続けました。■作品を何度も演奏し解釈を深めていくポリーニ ポリーニは幅広いレパートリーを取り上げるというよりも、自分が納得するクオリティにまで解釈を高められた作品だけを公にし、繰り返し演奏してさらに彫琢を深めていくタイプの演奏家でした。レコーディングにはさらに慎重で、バッハは平均律第1巻のみ、ハイドンやモーツァルトのソナタは皆無、フランスものはドビュッシーのみ・・・など、彼の厳しい審美眼に基づいて録音レパートリーが限定されていたことに気付きます。「三大B」の一角を担うブラームスの作品もそうで、彼が録音として残したのは2曲の協奏曲とピアノ五重奏曲のみでした。例えばブラームス晩年の滋味溢れる小品集(作品116や作品119が来日公演で取り上げられたことがあります)の録音は実現しませんでした。同じ「三大 B」でも、ベートーヴェンはソナタと協奏曲全曲を繰り返して演奏・録音していたのと比べると、ブラームスについてのスコープは狭かったことになりますが、それでも2曲の協奏曲についてはそれぞれ3回にわたって録音を残しており、ポリーニが3 回録音した作品は他に見当たらないことを考えると、作品についての思い入れも一入だったはず。今回Super Audio CDハイブリッド盤としてリリースするのは1970年代後半に録音した第1回目のもので、これら2曲のイメージを大きく変え、20世紀後半における新たな作品解釈の扉を開いた画期的な演奏という点で、今でも歴史的な意義を持つ名盤であるといえるでしょう。■盟友アバドとの第2番 ポリーニがドイツ・グラモフォンに協奏曲を録音し始めたのは1976年のことで、1982年までに、モーツァルト(第19番・第23番)、ベートーヴェン(全5曲)、ブラームス(全2曲)、バルトーク(第1番・第2番)が録音されていきます。ブラームスの2曲のうち、最初に録音されたのは第2番で、1976年5月、第8回定期およびウィーン芸術週間の開幕演奏会と並行してセッションが持たれました。このセッションはドイツ・グラモフォンによるレコード録音のみならず、ユニテルによる映像収録も兼ねていて、この時期のユニテル映像の特徴である無人のムジークフェラインで燕尾服を着て演奏する姿が緻密なカメラワークで捉えられることになりました(LPジャケットにもその1カットが使われました)。音声ソフトとしての発売と並行して映像のTV放映でアーティストのイメージを広めていくメディアミックスの手法がとられ、ポリーニにかけられていた期待の高さがうかがえます。指揮を担ったのはクラウディオ・アバド(1933-2014)で、共にミラノの出身であるアバドとポリーニは1960年代から何度も共演を重ね、音楽的にも政治信条(左派)でも波長が合い、いわばお互いに同志ともいうべき強い絆で結ばれていた存在であり、録音ではすでに 1973 年に、やはり同じく二人の盟友だったノーノの「力と光の波のように」で共演していました。ポリーニ、アバドともに、流麗かつアポロ的な音楽づくりを得意とする音楽家であり、ブラームスでもそれまでの作品のイメージを塗り替えるような新鮮な驚きに満ちた解釈を打ち立てています。「ドイツ・ロマン派究極の大作」という重厚なイメージをまといがちだったこの協奏曲に、ブラームスが作曲のインスピレーションを求めたイタリアの陽光や空気の解放感を実際の音としてもたらし、決して軽薄という意味ではない軽味・明るさを作品解釈に持ち込んだのです。■ベームとの最後の共演となった第1番 第1番はその3年後の1979年12月の収録で指揮はカール・ベーム(1894-1981)。これは実際の演奏会とは関係なくドイツ・グラモフォンの録音用に組まれたセッションで収録されました。若手演奏家の評価には常に厳しい態度で臨むことで知られていたベームですが、ポリーニについては全面的に信頼を寄せ、モーツァルト(第19 番・第23番)やベートーヴェンの協奏曲(第3番~第5番の3曲)という重要なレパートリーで録音を重ねており、このブラームス第1番が録音上では二人の最後の共演となりました。ベーム指揮によるブラームスの協奏曲第1番といえば、1953 年録音のバックハウスとの火花散るようなドラマティックな伴奏が知られていますが、26年後のこのポリーニとの共演ではそうした直接的な興奮の代わりに、どっしりと構えた重量級のオーケストラの枠組みを作ってポリーニをフルにサポートする姿勢が前面に出ています。晩年のベームは体調によってテンポが間延びしたり、演奏の密度が薄まったりするここもあったようですが、この録音ではそうした不調とは無縁で、音が密集して鳴りにくいオーケストラ・パートを存分に響かせ、これ以上のないほど濃密なサウンドでブラームスのオーケストレーションの魅力を開示しています。そのオーケストラのカーペットの上で、ポリーニも渾身の力で演奏至難なピアノ・パートをクリスタルのような抜群の明晰さで弾き切っており、中でも第2楽章主部の澄み切ったピアニズムや、第3楽章後半のカデンツァでの緻密な音さばきなど、聴き所は無数にあります。