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カテゴリ:未来へ
1995年の11月だっただろうか? 会社の当座預金に一億円が振り込まれた 親父が会社名義で経営者保険に入っていたのだ 個人での資産はほとんどなく 相続の対策や協議はまったく必要なかったのですが 会社(法人)では保険金という形で私たち兄妹(私と妹)に残してくれたのでした ただ、手放しには喜べない 会社では当然、利益として計上して税金を納めなければならない 当時は3月末決算だったので、 半年後には約半分の5千万ほどを納税しなければならないのだ 会計事務所の先生と相談して急遽、9月末の半年で決算を締めることに 余分に決算報酬(約25万)を払わなければならないのですが 3~4ヶ月間で一億円の特別利益をどう扱うか決めるのは厳しいため 時間稼ぎをするのが目的である 決算期変更の届出を出し今後は9月末を当社の決算期にしました 節税にはいくつかの種類がありますが、 お金が減らない節税はほとんどない あとは ・お金が減る節税 ・お金が減り利益を繰り延べる(先送りする方法) 何か大きな買物をしても(建物や機械等) 全てがその期の経費では落とせません 5千万の機械を買っても(この時点で現金は一億から5千万に減る) 機械は何年間に渡って経費として落とさねばならない(減価償却といいます) 従って5千万の買物をしても税金として減らせるのは5百万という感覚なのである (おおざっぱな感覚で話しています・・) 四千五百万は納税しなければならないのです ましてや当社は主に卸売業と請け負い作業のため必要な設備も特になく 実際、配達用のミニキャブ(軽)を買ったくらいだ ベンツのEクラスを衝動買いしたが 2年後に資金が苦しくなり500万で売却した まったく情けなく恥ずかしく親父に申し訳なかった。。 いくつか節税目的の保険に加入して あとはお金が減り利益を繰り延べる方法を選びました 結果、その期の決算では3千万ちょっとを納税して 3千万を出資金として使い、残りは役員報酬をあげたり etc. 手元に残ったのはたったの一千万ほど だけどしっかり 当時の加古川税務署の納税額のランキングで発表されてしまった 単に、決断を先送りしただけと当時は思ったが その後の当社決算をとんでもなく難しくさせる決断を私はしたのであった (気付いたのはずいぶんあとです。。) その方法は航空機のレバレッジ・リースというもので 何人かの出資者を募り航空機をリースするという投資物件 私はマレーシア航空に3千万の投資をしました (窓口会社は長銀リース) 期間は12年 出資することで飛行機の減価償却も出資者に案分される 一年目は2千万以上を経費として利益圧縮される ただ、翌年から額は減るものの利益が圧縮されるので 当社はものすごい赤字会社となり(5期連続赤字!!) 途中、飛行機が落ちると自分の飛行機じゃないかと心配し マレーシアの国情を心配し 長銀リースが傾いたときはもうダメかと思い アメリカの航空会社が何社も潰れたのは恐怖で 12年間も心のどこかにこの航空機リースはひっかかっていたのです 結論的には保険金を一億受けとりましたが一年後には 手元には一千万ほどしか残らなかったのです やっと12年がすぎた去年の11月に投資した額が返却されました だから今期は資金繰りに余裕がありますが 特別利益が3千万近く計上されます 先日の5月末に570万ほど中間(予定)納税し 9月末に決算をしめて11月には1千万ほど納める(のかな・笑) そういうわけで(?) 親父が残してくれた保険金は 税金の勉強とキャッシュフローの体験と当然ですがお金の面での補助となりました 但し強く誓ったことがあるんです その当時(12年前)の一億円は私の手に余りましたが 今なら大丈夫です(笑) なによりも一度も現物の札束をみていない(涙) だから、今年の11月で決着ついたら いや、つくまでの今から 自力で一億稼ぐ仕事を始めます 今の仕事だと、もし稼げたとしてもさらに10年はかかりそう 私は親父の寿命(57歳)をどこかで意識していますので もうあんまり時間を掛けられないのです 無事に12年とプラスアルファを過ごせたことには感謝です!! ですが私の脳や体や血液には 起業家のDNAが間違いなくあるハズ 好きなことをして生きてはいませんが 「好きに生きさせてもらってます」 人一倍に家族には責任を果たして 子供たちにはお金で買えるものでなく体験を与え、考えさせる そして、お父さんは次の人生を作ります! 社長が起業するのです!! 追記 こういう考え方は環境に大きく影響されていますね、 また過去の想いが今の自分を作っています ですから今回の機会で中学生時代まで遡っております 中学3年生からの私は後日更新しますね♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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