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テーマ:未来へ(749)
カテゴリ:未来へ
過去はどーでもいいと思っています 振り返る暇も意味もないかなと 今回珍しく落ちもない(面白みのない)過去日記は自分のためです その後の仕事の上で強烈に苦しかったのはあの事件・・コチラ また話は中学時代に戻りますね(笑) 大嫌いだった担任の先生 他の先生も友達も全員が私を「勇次」と呼んでくれるのに、 彼だけは私を「うえの」と変なイントネーションで呼ぶのです 卒業式のリハーサルで自分の名前を呼ばれたとき私は言いました 「先生、最後くらいはうえのと(フラットで)発音してください」 会場は大爆笑でした。。 高校はなんとか公立高校へ行けるだろうということで 家から歩いて行ける明石高校を志望して受験しました 結果は違う高校で明石南高校と合格発表で書いてました 「明石南高校ってどこにあるんや?」 入学式の前の日に見に行ったくらいです(笑) 当時は総合選抜制といい、合格ラインに到達してても振り分けられる制度だったのです 一緒の高校に通うつもりだった彼女は明石高校へ それで自然消滅 「無理やろ~」という感じでしたね 進学先は決まりましたが 中学時代の仲がいい友人(グループ)はほとんど就職だったんです 全員が先輩に呼び出され・・ 一人高校に(しかも公立)に行くことになった私は 当然制裁の対象だと覚悟してました 順番に進路を報告 私の番が来て 「自分は明石南高校に行きます」 親友がかばってくれました 「勇次は俺たちと違い勉強できるから、高校へ行かしてやって欲しい」と 私たち二人だけが最後まで残され・・・ 高校の入学式での校長先生の言葉も鮮明に覚えています 「志望せずにきた皆さんもいるでしょうが、気持ちを切り替えてすごす 高校3年間と志望校じゃないことを思い続ける3年間は全く違うのです」と 私は思いました 「アホか、そんな簡単に変えられるか。絶対今度は自分の進路は自分で 決めたとこに入ってやる」と まあ~見事に無気力な高校生活でしたね(笑) 中学のときは所詮グループでいきがっていただけで 一人じゃなにもできない(恥) 卒業してから会う友人は私に 「上野クンっていっつも窓際の席で寝てたよねぇ」といいます ホントひたすら寝てました テストの答案用紙がよだれと汗で出せなかったり(笑) 高校は停学が怖いから学校では煙草や飲酒はしませんでした でも一回くらったな謹慎は みんなで喫茶店貸し切って文化祭の打ち上げした時の酒とたばこで・・・ 可愛いもんです(笑) そーんな感じで3年は過ぎ受験の季節が 母校の名誉のために書きますが(爆)当時の明石南高校は 体育専門学校とか就職に一番強い公立高校と言われていました(明石市内で) 実際卒業生の半分は就職してましたね 進学組の半分は専門学校と浪人 トップ5%くらいが名前が知れた大学に行くくらい 京都大学や大阪大学なんて現役ではまず合格者は出ない 神戸大学に一人とか関西の4大学(同志社・関学・関大・立命)に3人くらい あとはその他の大学 先日書きましたが私は中学の担任が大嫌いで、 常々、彼より難しい大学に合格したいと考えていました そんな彼(シオちゃん)は神戸大学卒業(だったハズ) 対して私の高3の成績は進学希望者のうち130番くらい 進研模試(当時の福武書店、現在のベネッセかな?)で偏差値が47くらいで 希望校欄に書くことすら恥ずかしい成績でした なのに完全に受験をなめていた私は 一週間死ぬ気で勉強すれば神戸大学くらいは入れるだろうと(笑) 4日間位徹夜しました(笑) 当時は共通一次試験(1000点満点) 試験会場は神戸大学でしたが 眠くて気分が悪く・・ 自己採点は420~430点(1000点満点のです・笑) まあ、しゃーない(仕方がない)と、これも大嫌いだった 担任のN倉先生に報告と相談 当時理系だった私が勧められたのは神戸商船大学 ま、同じ神戸だからいいか(爆) (内心は全寮制は嫌やなぁ) 断る理由もなく二次試験会場に 今回は経験を生かし十分な睡眠!! しかーし 物理がわかりましぇ~ん 結果、白紙で提出!!(潔い・爆) また続きます・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jun 3, 2008 11:36:45 PM
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