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カテゴリ:未来へ
今朝は嫌な夢を何度も見た 夢の中で泥酔している私、隣で幼い長男が心配そうに見つめている 目がさめ夢かと少しほっとするが、寝汗が酷い 30分おきに目が覚める まだ出社まで3時間ある まだ2時間半あると少しだけ眠る 寝汗がますますひどくなる もう酔っている夢の続きは見ないのに もう酒は3年以上飲んでないのに(途中一回挫折) アルコールと鬱で螺旋階段を転げ落ちていく感覚 夢だとわかっても安心できないのはどうしてだろう ・・・ここから現実・・・ 朝の8時すぎに携帯がなり 叔父が死んだと知った 会いに行けたのに行かなかった後悔は 残ったものの身勝手かもしれないが 私が子供のころ独特のしゃがれた声で 「勇次よ」とよくかわいがってもらった 若いころ労災で片脚の太ももから下を切断された 母からよく聞かされた 「兄は障害を馬鹿にされると我慢ができなかった」と 「酒を飲んでて馬鹿にされると誰にも止められなかった」と 酔ってはいつもケンカしていたそうだ そして喧嘩はべらぼうに強かったと 何人相手でも決して背中を見せなかった叔父は 警察も手を焼く、村では札付きのワルだった そんな叔父がある時からスポーツに打ち込んだ すぐに障害者の競技で岡山県で優勝し、ますます練習を そして、1964年 東京パラリンピックに出場 今日、初めて私は検索でその結果を知った 叔父はそんな自慢を私にしたことがなかったからだ グーグルに名前を打ち込むと表示された パラリンピック 国際身体障害者スポーツ大会 写真集 1964年の東京で開催されたパラリンピックの記録に名前を見つける 片大腿切断 100m障害競歩 成績4位 片大腿切断 立幅跳 成績10位 片大腿切断 25m自由型競泳 成績2位 皇后陛下との写真が地方新聞にのったそうだ 村の人の態度は変わり、一躍英雄に 小学生までだが叔父との思い出はつきない でも、もう昔話を聞くことはできない 「勇次よ」と呼んでもらうこともない 最後のお別れの日(15日)に私は誓う 「おっちゃんありがとう、勇次は必ず・・・・」と 天国の親父をヨロシク お互いで「いーさん(私の父、勇)、アニキ(おじさん)」と お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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