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テーマ:未来へ(749)
カテゴリ:人生を完走する前に・・・
理論というにはあまりにも拙いのですが(笑) 今まで私は、「現在の自分の状況は過去の行動の結果だ」と考えていました。 そこから派生して、今が未来を形成していくので「今が未来だ」と このブログでも好んで使っておりました。 つまり「時間は過去から現在、未来に向かって流れている」と。 多くのみなさんも同じようにお考えではないかと想像します。 なぜなら、これは西洋的なユダヤ・キリスト教の伝統的な時間観であるからです。 対して、最近読んだ苫米地英人先生の話に軽いショックを受けました。 「時間は未来から現在、過去へと流れている」そして 「現在の自分を決める原因は未来にある」と言うのです。 「???」だから、それがどーしたの?と思われますか? 文は続きます、 現在は一瞬で過去になります。例えば、今、現在やっていることが1時間後には、1時間過去になるわけです。 ということは、現在の行為が過去になったのです。つまり、現在の結果が過去です。 反対に、今、現在であることは、その少し前には未来でした。 1時間前には、1時間未来だったわけです。 ですので、次のように考えてください。 あなたの今いる地点が現在とすると、あなたに向かって未来がどんどんやってきては、過去へと消えていっているのです。 あなたが過去から未来へ向かっているのではなく、未来のほうが自分に向かってどんどんやってくる。やってきては、過去へと消えていく。 このように考えるのだと。 すると、現在は過去の産物ではなく、未来の産物であることがわかります。 このときの未来とは、固定されたものではありません。無限の可能性のことであり、それよりさらに未来の因果によって決まるものです。 この時間観は仏教哲学のアビダルマ哲学で展開されており、 現代では、キリスト教に端を発する西洋哲学の最先端分野である分析哲学もまた、同様な時間観念に基づいて論じられているそうです。 先生の著書 :努力はいらない!「夢」実現脳の作り方 (マキノ出版)は続きます。 人は未来に働きかけることができる 「そうはいっても、過去は変えられないし、消すこともできないし、その積み重の上に今があることには変わりがないじゃないか」と思われる方もいるでしょう。ですが、ここで主張したいのは、「過去にこだわることに意味はない。大事なのは、未来に働きかけることだ」ということです。 なぜなら、過去というのは、「その人の記憶の中にある、起こったできごとに対する現在の解釈」にすぎないからです。そして、その過去や現在を決めるのは、未来です。未来がどうなるかによって、過去や現在の解釈はいくらでも変わってきます。 例えば、インターネットで宝くじを1万円分買うつもりが、間違って100万円分買ってしまったとしましょう。この時点では「なんてバカな間違いをしてしまったんだ・・・」と思うことでしょう。ところが、1ヵ月後、この宝くじで1億円が当たったとします。すると、この「バカな行為」という解釈が一転します。「ひょっとすると、何か目に見えない力が働き、自分は未来を予見して、宝くじに投資したのかも」などと考え出して、過去のバカな間違いも確信的な行為だったように思えてくるわけです。本人だけでなく、周囲の人の見方も「バカだなあ」から「強運の持ち主」に変わるはずです。 このように過去のあるできごとが、未来によってまったく違う記憶に塗り替えられるわけです。また別のたとえで説明しましょう。 時間の流れを川の流れにたとえます。あなたは川のある一点を見ています。そこが現在です。川は上流(未来)から下流(過去)に向かって流れています。あるとき、川の上流から赤いボールが流れてきました。次に、青いボールが流れてきました。そのとき、あなたはどのように考えますか? 過去の因果で現在や未来が決まると考えるのであれば「赤いボールが流れてきたから、それが原因で、次に青いボールが流れてきた」ということになります。 でも実際はそうではありません。これは、未来という上流において、なんらかの因果で赤。青の順番でボールが放たれた。だから、赤、青の順に流れてきた、ということにすぎません。 さて、このとき、あなたは赤いボールが流れてきたのを見て、拾うかどうか迷ったあげく、結局は拾わなかったとします。次に青いボールが流れてきたのを見て、「しまった。私がさっき赤いボールを拾わなかったから、今度は青いボールが流れてしまった!」なんて思うでしょうか? そんなこと、思いませんよね。 あなたが赤いボールを拾わなかったことと、青いボールが流れてきたことには、なんの関係もありません。逆に、赤いボールを拾ったら、青いボールは流れてこなかった、ということもありません。上流でだれかが放ったものが今、あなたのところに到達した、それだけのことです。 つまり、過去に流れ去ったできごとと、これからやってくるできごとの間には、過去のできごとを原因とする因果関係などないのです。そこを勘違いして、「あのときに赤いボールを拾っていれば・・・」と考えてクヨクヨしても、なんの意味もないということです。 因果関係があるとすれば、未来に起こるできごとによる結果として、過去のできごとがあるとはいえます。このたとえでいえば、「上流(未来)でボールを放った人がいたから、それが私の前を流れていった」ということはできます。しかし、それは未来に起こることですから、青、赤の順番になるかもしれないし、さらに黄色のボールが流れてくるのかもしれません。 いずれにせよ大事なのは、過去へと流れ去った赤いボールは、もうあなたに対して何も影響を与えない、ということです。どんどん、さらなる過去に離れていくばかりです。そして、あなたに影響を与えるのは、これからやってくる青いボールだけなのです。それを拾いたければ、拾えばいいし、拾いたくなければ、拾わなくていいのです。あるいは、あなたが上流に向かって「黄色のボールを投げてくれ!」と叫べば、それが流れてくるかもしれません。 さて、おわかりでしょうか?あなたがこれから夢をかなえるにあたって、過去に起きたことなど、いっさい関係ないのです。 「今まで何一つ、うまくいかなかった。だから・・・」という考え方はやめましょう。それは過去のできごとに対して、今のあなたがしている解釈にすぎません。 そんなことで、あなたの未来を制限する必要など、どこにもないのです。 と、ここからも苫米地先生の著書は展開していくのですが 私はショック(良い意味で)を受けたのと、自分なりの解釈をしました。 それがこの写真です(笑) ご存知でしょうか?関口宏の東京フレンドパークというテレビのアトラクションであるフラッシュザウルスです。 2人組みの挑戦者が自転車の空気入れのようなポンプ状のものを押し、 そのピストン量によって、恐竜を流れおちるフラッシュライトのスピードが 速くなったり遅くなったりします。 そのフラッシュにもう1人の挑戦者がタイミングを図りジャンプして飛びのるのですが、指定場所でうまく飛び乗れればゲームはクリアーとなります。 感の良いかたはもうおわかりですよね、 フラッシュライトが未来であり、かつ夢であり目標と考えます。 ポンプを押すのも自分自身で、その行為を行動や実践と考えます。 飛び乗る行為は、すなわち夢をつかむ(実現)すること 恐竜の上にどんな夢を置くか? あなたが自由に決めればよいのですが、とーぜん置かないと流れてこない 未来に自分で夢や目標をセットしないといつまで待ってても流れてきません。 じーっと待ってたってゲームに仕込まれた、自分にあまり意味のないフラッシュ(できごと)だけが流れてきます。 つまりセットしない夢は叶わない (まぁ、ラッキーはありますが) あともうひとつ、ポンプを押し、ジャンプしないとな~んにも変わりません 自身がタイミングを調整(計画)して、実践・行動する うまく飛び乗る(掴む)、もしくは自分に呼び込む(イメージ) 準備してジャンプ!! うまくいかないこともあります=失敗 だけど、それがどうしたということはありません 夢を上流に置くのも自分ですから何度でも置けばいいのです! 目標も夢もいくつでも、いつ変えてもいい でっかいのを一個でも、小さいのを5個でも、時には交互においてもいい 失敗も繰り返せばタイミングがわかります でっかい夢や目標を上流(未来)において、作戦・戦略と実践・行動したら 夢はあなたに体当たりしてくるわけです。 みなさんの黄金のボールを自分で何度でもつかみとればいいし、 リリースしてもいいのですね♪ 苫米地英人さんの本に人生観が変わる衝撃を受け、 かなり我流に展開してみました(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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