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気が付けばもう6月も半ば過ぎ...
3ヶ月も更新できずにおりました。 この間に私達家族に人生の岐路とも言える 大きな悲しい出来事がありました。 2月に入って義母が緊急入院 それまでも入退院を繰り返していたのですが 前の週には元気で我が家に来て 子供達の相手をしてくれていたのですが 入院時には既に意識がなく 主治医からもって1月と・・・ それからはパパと私と弟2人が交替で24時間付き添う事に。 私は私は子供が居るので夜は付き添えませんでしたが パパは休日前は仕事が終わってそのまま病院へ行って 次の日は一旦諒を迎えに来てまたそのまま付き添い。 諒も異変に気付いているようで 病院へ行っては 「祖母ちゃん大丈夫?」 って義母の動かない手をさすりながら話しかけます。 お外遊びが大好きな諒 朝早く病院に行き、時には帰るのが夜11時過ぎだったりすることも・・・ 広い個室とはいえ狭い空間 お昼になってディルームに行って 私の作ったお弁当を食べる時だけは楽しそうで、、、 とても無理をさせていました。 でもたまに状態が良くて目を開ける義母に 出来るだけ子供達を会わせてあげたかった。 諒が話しかけたら瞬きして応えてくれる事もあって もしかしたら・・・ そんな淡い期待も空しく 3月末にとうとう帰らぬ人になってしまいました。 その日は私が行けなくて 義弟が付き添っていました。 パパも連絡受けて職場を出ようとした時にはもう・・・ 毎日車で片道40分余りの病院への道を 時には数回往復する日もあったほど通っていたのに 残念ながらとうとう死に目には会えませんでした。 せめてもの救いは 亡くなる前日は家族皆で付き添っていた事。 きっと義母も寂しくなかったと思いたい・・・。 それからは喪主のパパ 葬儀から悲しんでいる暇もない程バタバタと忙しい日々 パパは葬儀の後も49日までは毎晩お線香をあげに、 お休みの日は家族で実家に通う日々でした。 49日までの七日七日の法要は近しい身内が集まってくれて お経をあげる事も出来ました。 そして49日を終え やっと日常生活に戻るかと思ったのですが 心労からでしょうか パパは葬儀からの風邪は未だ治らず 子供達は代わる代わるに39度超えの高熱を出し 菜っちゃんはそれが元で中耳炎になって 週に数回病院へ通う日々です。 義母が旅立って2ヶ月が過ぎましたが まだ病院へ行ったら義母に会える気がします。 パパはもっと強い思いがあるでしょう。 諒もパパに付いて毎日病院に通っていたので 車に乗るたびに 「祖母ちゃん(病院へ)行く?」って・・・ 私は全然いい嫁ではありませんでした。 喧嘩する事はなかったけれど 優しくもなく気も利かない。 今更ながらにあんな事もこんな事もしてあげたら良かった・・・ と悔恨の思いでいっぱいです。 パパもあれこれ悔やんでいるようですが 私から見てもパパは本当に良くやっていたと思います。 お義母さんはきっと優しい孝行息子に育ってくれて 嬉しかったと思うよ。 私達がしてあげられた唯一の親孝行は 孫を見せてあげられたこと。 これからはお義母さんの分も子供達大事にしようね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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