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7月27日。前日まで休み休みではあったけど、なんとか仕事も続けていた私。
その日も仕事行くつもりでお弁当作って、朝ごはんの支度してた。。 子供たちが起きてきて、トイレに立て続けに入ってあーだこーだ喋ってたら・・・ 突然それは起こりました。大出血・・・・・・・・ 入っていた子供に早く出て!!!!と叫び、どういう表現が適当なのかよくわからないけど、 とにかくジャジャ漏れ状態。シャーシャー出血が止まらない。 正直焦りました。旦那様は仕事早めに出かけてもう居ないし、病院行きたくても子供たち 保育園まで送っていけないし・・・。だけど、早めに行かないとこれはマジでヤバい。と自分でもわかった。今まで散々無理してきたくせに。。。 とりあえず旦那様に電話してなんとか子供たちは保育園に連れて行ってもらう段取りをしてもらって、私は病院へ。 もちろん、即入院でICUみたいな部屋でまたベッドに貼り付け。絶飲絶食。そのときの状態からすぐにでもオペして赤ちゃん出さないと母体がもたないかも・・・と思っていたらしい。でもそのとき、まだ34週。そこで出てきても未熟児だし、赤ちゃんがしんどい思いするだけだし、なんとかがんばってもう少しもたせてとのお話でした。出血がかなりあったので、ベッドに寝ていても、 貧血でベッドが沈んでいく感じがしてとても寝ていられない。血液が赤十字から届き次第、輸血してもらいました。1本では足りずに結局2本。両腕にチューブが入ってるからすごく不便だわ。それから数日後、落ち着いてきたから一般病棟に移りましょうということで、移動したのですが、それから2~3日して突然の高熱に襲われて、また逆戻り。 ICUと一般病室の間を何度も行ったりきたりしながら、結局8月19日の夜にまた大出血があって、20日緊急オペすることになってなんとか無事に産まれてくれました。ずっと男の子だと思っていたんだけど、女の子でした。 寝たきりの状態が1ヶ月も続いたのでもちろん足の筋肉は削げ落ち、歩くことはおろか、体重を支えることもできませんでした。ベッドに座ることさえ無理。こんな状態で退院なんてできるんやろか・・・とても心配でした。高校からの親友のナースである「しほこちゃん」に電話してこんなんやねんけど・・・あるけるん?私。と聞くと、大丈夫やで、今1週間目やろ?10日目になったら歩けるから。との返事。励まされ、勇気をもらった私。その翌日、奮起してベッドの傍の椅子に移ることができ、それを1日に何度も繰り返していくうちにやっと歩けるようになりました。そして、9月4日無事に退院することができました。生きててよかった~~。 今回、どうして3人目を産む気になったかを説明しますね。 年齢的にも、経済的にも正直な話、3人目はきついです。でも、去年の10月に流産して、そのときに左側の卵巣が腫れていることが判明。もしかしたら、子宮ガンかも知れない。と言われてました。目の前が真っ白になったのを覚えています。上2人は普通に生まれてきたのに、もし、将来もう1人ほしいな~と思ってもガンだったらもう産めない。それだけやない、子供たちからお母さんが居なくなるのかも知れない・・・。私が生きた証が必要かも・・・。結果、ガンではないとの判断でした。3人目は強引に産むことに。ところが、これまたリスク大で。前置胎盤と診断され、それこそ母子ともに危険なことに。今回の開腹手術でわかったことだけど、もともと子宮内膜症があったみたいです。そして、やはり、左の卵巣は腫れていたそうです。子宮は摘出したので、内膜症の心配は消えたけど、年に1度は卵巣の検査は必要なのだそうです。上の子2人は偶然うまく妊娠できたんだな~神秘的だな~と改めて思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年09月07日 11時54分00秒
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