テーマ:幸せの法則について(434)
カテゴリ:ニュース
28日。 広島市民球場にて、最後の公式戦が行われる――。 結婚し、出産するまで、「 狂 」の字がつくほどカープを応援していた。 それは、多分に筋金入りのカープファンであった父の影響もあるのだろう。 父のルーツは福井県であるが、韓国に生まれた父は 戦後、父の母方の故郷である広島に引き上げたのである。 幼い頃より、TVを殆ど観ない私が、唯一喰い入るように観るのは、野球中継。 TVが終わればラジオに切り替え、 入浴するのも、脱衣所までラジオを持って入り、一球一球に固唾を呑んだ。 カープの悲願の初優勝時は、花の高校時代。 カープが勝つ度に小さなオジギソウの鉢植えを持って来る、 クラスメイトのお蔭で、その鉢の数は教室をぐるり一周し、 カープが勝つ度に、日本史の先生がひとつひとつを撫でて回り、 カープの話で盛り上がる。 マジックが点灯してからは、高校全体が浮き足立ち、 優勝を決定した試合は、前代未聞の全校放送をしたのだった。 学生時代は多忙で、1度行けたか行けないか、記憶も定かではないが、 社会人になってからは、観戦する機会も度々あり、 会社の所有する専門学校のレクレーションで、 市民球場を借りて、野球大会を開催したりもした。 結婚してからは、夫と待ち合わせて観戦し、そのまま食事に行き、 飲んで、徒歩でアパートまで帰ったり。 土地の利もあって、市民球場はとても身近な存在だった。 この市民球場が、夫や私と同級生になるのだと識ってからは尚更のこと。 どんなに狭くて、どんなにみすぼらしかろうと、 広島市民の願いが形になり、存続して来た、広島市民の球場である。 それは、しばしば、隣接する原爆ドームと相まって ヒロシマの願いと希望の象徴にもされて来た。 出産直後より、上の少年の一挙手一投足におろおろし、一喜一憂する日々となり、 カープどころではなくなる。 カープに割く時間もこころも持てないのである。 変わらずカープに熱中できる夫が腹立だしくもあり、 あれほど熱愛したカープであったのに、自然に卒業して行くことになる。 。。。思うに、白か黒か、ゼロか100か、な性格も災いしたのだと思う(汗)。 それでも少年たちは生粋のカープっ子に育ち。 同じマンションには、カープの監督や人気選手のお宅があり、 エレベータで一緒になっては きらきらと目を輝かし。 ファン感謝祭では、幼い2人の少年を連れて通ったものだった。 今、彼らは関西の地で、圧倒的なトラファンたちに囲まれながら、 変わらず細々とカープファンをヤっている。 夏の帰省では、さすが広島、TVでのカープの扱いが違う と、 うるうる感涙に咽ぶのである。 市民球場最後の年。 カープもファンも気合が違う。 何より、成績が振るわないと平日はあからさまにがらがらな球場が、 今年はぎっしり、ファンが通う。 それにまた、応えて頑張るカープの進撃は、とても嬉しい。 いよいよ、市民球場最後の公式試合ということで、アイロン片手に、 夫が大事にしてる赤いメガフォンも出して、久々にTVの前に陣取る。 30609名。 市民球場始まって以来の観客動員数で、 しかも見渡す限り真っ赤に染まる球場の絵に、鼻の奥がつんとする。 この夏は、何が何でも球場へ行って応援したい と、 夫も少年たちも願っていたことを思い出しながら。 仕事でタイに赴任している、という男性が、 今日のこの日のために、無理して帰国し、観戦している、との インタヴューには、泣かされた。 ファンひとりひとりが持つ赤いポスターには 白ヌキで 『 ありがとう 』 と書かれている。 その裏面には、 『 必ず ここへ 帰って来る 』 と。 最初、意味が判らなかった。 それが、クライマックスシリーズで優勝し、 日本シリーズで、市民球場に戻って来て日本一を賭けて戦うのだ、 ということであったとは。 それを信じ、それをこころから願い、 熱烈にそのポスターを掲げ、 喉を嗄らして声援を送る皆の姿が 胸に熱い。 私はもう、カープ贔屓ではあっても、 現役のカープファンではないことを痛烈に感じつつ。 理想的な試合運びに、ぐるり360度の赤いウェーブを観て 涙する私もまた、私。 たくさんの想い出を有難う☆☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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