テーマ:ささやかな幸せ(6738)
カテゴリ:食べました & 飲みました^^*☆
金曜日。 K市中央の総合病院へ通院する義母の付き添い。 正午を回った帰路で 「 うどんを食べて帰ろう 」と言う義母を 手頃な讃岐うどんのチェーン店へ連れて行く。 義母は 入り口に置かれたメニューの写真の前で足をとめ、 散々悩んだ挙句、天麩羅うどんに決める。 私もそのつもりであったが、 義母に、違うものを頼めと強く言われ、 それでは、と義母の天麩羅うどんより300円高い(汗)、 「 海鮮釜飯 」を食べることになり。 注文後、義母は、悩み疲れた顔をして やはり自分も釜飯にしてみたい、と言う。 では、私の釜飯と交換しましょう、と言うと、 「 りうちゃんと一緒がええんぢゃ 」 と 我儘を言う(o_ _)oポテッ 慌てて厨房のカウンターに走り、その旨を告げると まだ間に合う由にて、ほっとする。 ウエイトレスさんが、卓上に独り用の小さな釜と竈、 固形燃料がセットされたものを持って来られて、 目を見開き、きらきらと輝かせている義母の前で点火。 「 15分程掛かります。 火が消えたらお召し上がり下さい。 熱いですのでお気をつけて 」 ウエイトレスさんが立ち去るのを待ちかねて、義母は テーブルに両手を重ね、その上に頬を乗せて横向きになり、 子どものように好奇心いっぱいで、固形燃料の炎を見つめる。 そうか、義母には初めての体験なんだ。。。 つましいつましい農家の分家の嫁で、早朝から深夜まで働き抜きながら 「 外食 」や「 出来合い惣菜 」を買うことを 贅沢、手抜き、の最たるものとして忌み、排して 生きて来た。 私の前で、「 外食する家庭 」、 「 惣菜 」を買って帰るひとびと、をどんなに非難して来たことか。 盆、正月、お祭りに帰省してくる子どもたち家族を 仕出しや外食でもてなす家庭を どんなに見下げた視線で語って来たことか。 私の実家も、外食は年に1度あるかないか、ではあったけれど、 それは、父がことのほか母の手料理を愛していたからだし、 外食するようなゆとりのないお貧乏な家庭でもあったからで、 だからといって、よそさまの食卓にまで 羨んだり、蔑んだり、云々したことはなかったので、 この外食や惣菜に対する義母の凄まじいとも言える嫌悪感には、 なかなか慣れることができなかった。 学生時代や就職してからの私自身のささやかな外食の機会は、 私にはとても大人になったような、解放感を覚える楽しいひとときだった――。 だもんで、この地に転居し、同居中は決して外食など できなかったし、 テイクアウトなど言語道断。 ハレの日には、何日も前から、何十人分かというほどのご馳走をつくるが、 普段の日には粗食、一汁一菜が基本であり、絵に描いたような和食。 パンはダメ、珈琲もダメ、肉類ダメ。 上の少年の誕生日にケーキを焼くのもダメダメダメ。。。。 拝み倒してハンバーグを焼かせて貰ったものの、 義父母にはちゃんと和風ハンバーグにしたのに、箸もつけて貰えず。 覚悟はしてたものの、時にとても辛かった。 だもんで、独立転居した朝、タイマーセットしておいた、 HBの焼き立てパンの香りで目覚めたときには その倖せと 辛かった半年間がどっと押し寄せ、独りさめざめと泣いたものである。 その後も、あちらこちらで周囲の目が光っており、 面倒なので、外食もテイクアウトも控え、 たまにはーーー、外でしか食べられないような、好きなものを食べたい。 行き詰まる地から解放されてみたい。 こっそりと少年たちを連れて、隣市へ買い物に出かけ、 ハンバーガーを食べたときの、少年たちの目の輝きが哀しかったものだった。 その意味で、バレーの試合後の打ち上げは、人一倍楽しかった。 気が張り、肩の凝る町Pや郡市Pなどでの会食も、楽しめた。 少年たちには、私だけ申し訳ない、という気持ちと、 義父母には絶対内緒、という、背徳的な感情を抱かざるを得なかったが。 義母は乗り物に異常に弱いことから、若い頃から旅行もままならず、 旅行も私の知っている限りでは、2回。 それも1回目は、女学生時代の修学旅行のようなもので、 皆と列車に乗った義母は、3つ目の駅で降りてリタイア。 2回目が、15年前、義父母と三兄弟家族がうち揃っての 昭和天皇がお泊りになられた、という老舗の豪華旅館にて宮島一泊。 酔い止めを手放さず、電車+船という旅に気乗り薄だった義母だったが、 幸い酷い酔いにはならずにすみ、このときの想い出を 未だに宝物のように大切に思い、折に触れて懐かしんで語るのである。 テレビも観ず、本も読まず、 野菜作りと布団作りが唯一無二の趣味である義母には、 その他の楽しみは、どうしたって我が子と孫の成長しかなくて当然なのだった。 あ! 湯気が出始めた! 磯の匂いがするのぅ。 たったこれだけの火で炊けるんぢゃのぅ。 「 赤子泣いても蓋取るな 」って識っとるか? 火が消えたが、ちぃと蒸らさんといけんかのぅ。 きゃぃきゃぃ と はしゃぐ義母に、少し鼻の奥がつんとする。 おそるおそる蓋を取ってみる義母。 素直に感嘆する義母。 よう出来とる。 凄いのぅ。 楽しいのぅ。 炊きたてぢゃけん、美味しいのぅ。 また来ようのぅ。 皆とも来ようのぅ。 そこを出て、義母宅へ着くまで、ずっと反芻するように釜飯の話をする。 美味しかった。 りうちゃんとだから 楽しかった。 こんなものがあるとは識らなんだ。 きっと義母の息子である三兄弟は、こんな義母を識らない。 私ではなく、長義兄と2人で、次義兄と2人で。 夫と2人で食べたのだったら、 もっともっと、どんなに嬉しく、美味しく、 義母のこころを彩ってくれることだったろう。 三兄弟は識らない。 義母がどんなに分家の嫁として虐げられて来たか。 義母もまた、この地を厭い、憎んで来たことを。 歯を喰いしばって 日々、生き抜いて来たことを。 、、、昔の「 嫁 」たちは、多かれ少なかれ、 きっと、皆同じような想いをして来たんだよね。。。 夜、翌朝と掛かって来る義母からの電話は、まずは 釜飯の話から。 未だ声を弾ませる義母に、 また行きましょうね、また食べましょう、と何度も応えながら、 来月半ばまでには、夫と3人で行こう、とお誘いすることをこころに誓う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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