テーマ:ひとりごと(15300)
カテゴリ:地域のこと。
ぴんぽ~ん。 連日魔界整理に精を出すも、余りの物の多さに、ちっとも片付かず、 飽き飽きしてたところに 玄関のドアチャイム。 この班に引っ越して来られた御方のご挨拶だった。 100坪を越す大きな邸宅に 独り暮らししておられたご婦人が クモ膜下で急逝され、ずっと空き家になっていたお宅に、 ご婦人の娘さんご夫婦が入られたのであった。 この急逝された御方は、地元の御方ではなく ( 従って何かと面倒な 『 女衆 』 でいらっしゃらない )、 上品で爽やかな、この班で私の1番好きな御方だった。 ちょうど私の実家の母の年代な御方で、雰囲気が母と重なる。 その御方にも、私と同年代な娘さんがいらっしゃる、との由であったが、 決して私を年下扱いなさることなく、 常に「 同等の主婦同士 」という立ち位置で接して下さっていた。 ( この地では 稀有なことである。 この御方もまた、【 よそ者 】でいらしたからかも(;;) ) 愚痴もひとの噂話も一切なさらない御方なので、 電車通勤の帰路で 一緒の電車になると、 何も警戒する必要なく、楽しくお喋りすることができたのだった。 この御方が 唯一 眉をくもらせ、悲しまれたのは。 娘さん夫婦が一緒に住まれることになった! と 目をきらきら輝かされ、 「 どうぞ仲良くしてやって下さいね 」。 その日を指折り数えて待っておられたのに、 娘さんご夫婦が、やはりこの地からは通勤しきれないとの理由で、 ご同居の話が流れてしまったこと――。 このときばかりは、 この地に もっと電車の本数があればいいのに、 終電がもっと遅ければいいのに、と、随分嘆かれたのだった。 それから4年して 突然に逝去され、 驚愕しつつ、隣保である我が家はお通夜にご葬儀にと奔走した。 そのときに初めて 娘さんご夫婦に逢って一通りのご挨拶はしたのだったが。 娘さんは、私より4~5歳はお若いのではないだろうか。 まだ小さなお子さまがふたりいらして。 こんな可愛い盛りのお孫さんと、 なまじご同居のお話が持ち上がっただけに、 どんなにご同居を望んでいらしたことだろう、と切なかった。 以来、大きな邸宅は空き家となり、 年に1~2度、娘さんが家に風を通しに来ておられたようだったが、 普段、主がいなくとも、変わらず咲くお庭の花々や 柑橘類たちが悲しかった。 その娘さんが、おかあさまの3回忌を前に ご両親の遺されたお宅に帰って来られる、、! おかあさまの 想い。 娘さんの 想い。 ご夫君の想い、お孫さんたちの想い。。。。 何ともいえず、胸が痛くなる。 娘さんは この地で1番の新参者となられ、1番お若い御方になられ、 近隣では、うちの少年たち以来の 「 子ども 」たち。 うちの班は、義母の班程 排他性は強くはないが、私の歩いてきた道が走馬灯。 この御方も、この地にお慣れになるまで、大変ではなかろうか。。。 「 どうぞ仲良くしてやって下さいね 」。 あのときの あの御方の輝く笑顔と 言の葉がよみがえる。 娘さんにとって、このお宅にとって、 どうぞ 私が 良き隣人になれますよう。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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