テーマ:旅の写真(3465)
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確か、『 ○年の学習 』付録で、かなり分厚い鑑真の伝記本がついて来たのが 鑑真和上を識ったはじまりである。 遥か遣唐使の時代――。 重税に喘ぐ庶民が 税逃れのためだけに「 俄か僧侶 」となり、 仏法を学ぶでもなく、結果 乱れきった日本の仏教界を救わんと、 和上の渡日を許さない玄宗皇帝の目を盗み、 御歳55歳から11年掛けて6度、命がけで東シナ海を渡られようとし、 5度目の失敗では失明までされてしまう。 そして6度目、ついに日本の地を踏まれるのだが、 ただただ財源増収のために 僧侶を減らしたい朝廷と対立し、 鳴り物入りで朝廷が建立した東大寺戒壇院から御歳71歳にして追われ、 私寺となる『 唐招提寺 』を開かれ戒壇を造られる。 その4年後、西に向かって結跏趺坐されたままお亡くなりになる――。 幼かった私には強烈な「 物語 」で、当時の私の識っていたお坊さまは、 「 親鸞さま 」「 空海さま 」であったが、 脳内のまず「 第1等 」の位置に「 鑑真和上 」が鎮座されたのであった。 なんというか、 私の1番身近( 隣 )にいつもいらっしゃるのが 親鸞さま。 ちょっと斜め前方においでくださってるのが、空海さま。 遥か頭上で、光輝いていらっしゃるのが 鑑真和上。 当時の私には、そんな印象いっぱぃで、 ただただ畏敬の念( 当時はそんな言の葉も識らなかったが )に打たれ、 そのまま 現在に至る。 鑑真和上が渡日されて 1250年。 現在も、鑑真和上のお弟子さまたちが、 唐招提寺から全国へ布教の為に巣立っておられる由である。 彩色され「 唐 」の雰囲気満載 の きらびやかな薬師寺とは対照的に、 唐招提寺は木立に囲まれ、金堂の修理中( 1日に落慶 )なこともあり、 ( 地味に )静か~に佇み、一見、参詣時間外のよう。 単なる「 観光客 」を 敷居高く、拒否しているようにも見える。 実際、門前まで来て中を覗き、そのまま踵を返す方々が 殆ど。 私はといへば、 その凛とした佇まいに、 何かしらほっとしたこころもちで、 受付で拝観券を求める。 受付にいらした年配の御方は、 え、観るんですか? みたいなオーラを隠されず、 金堂修理中のご案内のお声も 不審気なニュアンスばりばり そんなに普段は ひと気のないお寺さんなのだろか。 歴史では必ず習うし、私にとってはとても大きなお寺さんなのに。 境内は予想以上に広く、金堂、講堂以外へ渡る小道には綺麗に掃かれた跡。 木々に囲まれ、空気が美味しい。 参ったのは 境内いっぱぃに撒かれている大量の砂利。 層が厚いため、足が砂利にずぶずぶ沈み、一歩一歩 膝にクる(T^T)。 ヒールだったりしたら、一歩毎に靴ごと埋まり、 靴も膝も たちまちキズだらけになっていたことだろう。 興福寺境内の砂利に、厚いフェルトカーペットが打ち込まれていたのは、 参拝客のこうした苦難を予測されていたのだと思い当たる。 絵に描いたやうな 校倉造りの宝蔵。 このときは識らずに、 ただ感銘して写したが 後で調べると 国宝で、 この宝蔵と南の経蔵は 共に天平に建立されたまま。 南の経蔵は、正倉院より古く、 日本最古の校倉造りらしい。 天平時代の「 木 」が 美しく組み立てられ、 朽ちもせず、 そのままに凛として立つ、 ただそのことに 声も出ない。 この奥の、コンクリート製な 「 新宝蔵 」にて、 佛さま方にお逢いし、 お顔のない如来形立像に 魅了され、 「 天平の甍 」を観。 いよいよ、鑑真和上の御廟へ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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