テーマ:京都。(6103)
カテゴリ:行きました^^*☆
京都・奈良の旅最終日早朝。 この日も雲ひとつなく、 暑くなりそうな空のもと、 西本願寺へ参拝。 境内の見事な大銀杏の 仄かな秋色に深呼吸。 そのまま、西本願寺から蓮華王院に向かう。 朝1番の時間帯で、まだ修学旅行生もおらず、 ゆっくり、ゆったり、、、のつもりであったが、 ご本尊さまの前で、ほうけているうちに、 檀家さんのご一行が参拝され、その方々のためにお経があがる。 奈良・薬師寺での恩恵に続け!! とばかりに、 こちらでもちゃっかり 末席の御方の後方に佇み、ダンボ耳になって拝聴する。 読経の後、お坊さまより「 檀家の皆さまには今更ながら 」と 蓮華王院と千手観音についてのご説明。 お坊さまから十一面四十二臂でいらっしゃる千手観音さまについて 解説をいただけるとは、なんと有難きご縁であろうか。 学生時代より、数え切れぬ程こちらに通い、見聞を深め、 知識として識ってはいても、こちらで日々御勤めしておられる お坊さまから語っていただくのでは、こころに響くものが全く違う。 この日、最もこころに残ったことは。 観音さま方が 何故、千手なのか、何故、十一面なのか、というご説明である。 千手の御手のうち、「 本物 」の御手は、 胸元で合掌なさっておられる2本の御手だけなのであり、 残り998本の御手は。 何処であろうと どんな状況であろうと 救いを求める者たちを 如何なる手段をもってしても救ってやるぞ、と 救うための手段に用いる様々な持物を持った御手を、 ぱらぱらぱら と 1000ほどお見せになった、 その千の御手の残像が「 千手観音 」なお姿なのである、と。 何故 1000か。 天上界から地獄まで、25の世界があるから、であり、 25の世界をそれぞれ40本の御手でお救いになるので、1000。 そして 合掌の御手と合わせ、「 四十二臂 」なのである、と。 何故、十一面でいらっしゃるのか。 それは、観音さまは時と場合によって、何にでも変化なされて ( 時には あなた方の隣人に変化なさっておられるかも ) 救いを求める者たちを救うために奔走されるため、 様々なお顔を持っていらっしゃるのだ、ということと、 いつもいつのときでも、なにものをも見逃さぬため、 東西南北、北東、北西、南東、南西、の八方に 上と下、 そして 【 自身の内 】の十一方にお顔を常に向けられているのだ、と。 菩薩でいらっしゃる観音さまが、尚、【 菩薩である自身の内側 】に 常に眼を据えておられることに、感服させられる――。 ほぅぅっと 溜息ついて ご本尊さまを見上げるも、 この日は、御眼を開けて下さらない。 んーーー、残念(;;)。 知らぬ間に ときが経ち、観光バスが到着したらしく、 がやがやと修学旅行生が次々とヤって来ては通り過ぎて行く。 それぞれに最初は感嘆の声をあげたのだろうけれど、 ご本尊さまの前をさっさと通り過ぎていく高校生もあれば、 「 わ! まるで ラスボスぢゃん! 」とビビった男子高校生。 なかには、 「 タイミングとしたら、ここよね? ここしかないぢゃろ? 」 と言いながら、なけなしの( だと思う )お小遣いから お賽銭を取り出し、合掌して瞑目する男子高校生に、鼻の奥がつんとする。 山茶花、桜、連翹と お花でいっぱいだった 春の蓮華王院と異なり、 木々の根元にぎっしりと ポリゴナムだけが咲いている、 しっとりとした佇まい。 団体客のため、正面の障子が ほんの少しだけ開けられていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[行きました^^*☆] カテゴリの最新記事
|
|