テーマ:心のままに独り言(8770)
カテゴリ:地域のこと。
いつでもどこでも、山のやうな心配事を抱え、 常に 何かしら愚痴と不満と不安でいっぱぃな義母なのだが。 ここのところ 義母を悩ませているのは、 近隣の義母の義妹夫婦( 夫にとっては父方の叔母夫婦 )の 13回忌と17回忌の合同法要について。 どちらも私たちが結婚してからの逝去で、 殊に 義叔父には 私までよく可愛がって貰い、 葬儀の際には、お通夜の準備から 精進落としまでの料理全般を手伝った。 この度の法事は 内輪で営まれる由にて、長義兄や私たちは呼ばれず、 義母が代表で出席するように招待されたのだったが、 義母が悩まされているのは、その折に包む 『 御佛前 』の額。 なんでも義母宅近隣の班や講では、 法事に招待された折には、【 1軒で2万円包む 】というのが いつの頃からか、不文律となっており、 ここ数年来、その2万円入りの熨斗袋を 帰る際に、 施主から 「 お気持ちだけ有難くいただきました 」と それぞれ「 茶の子 」と共に丁重に返される、のが主流である。 また、お線香など御供のものは受け取り、 茶菓子や果物などは、受け取って 参会者が帰られるまでに均等に分け、 茶の子と一緒に持って帰って貰うのである。 お金の額はともかく、法事の際のこの「 形だけ 」な形式は、 私の結婚前から、広島ではそういう風習だったように記憶している。 だが、この地では、数年前まで、 そうやって お金を受け取らずに返すイエがあれば、 「 ひとが折角 包んでいったものを 【 突き返す 】 などと、 なんと 可愛らしゅうないことか 」 と、皆から陰口を叩かれていたものだった。 が、ここ数年で、その慣習が見事にひっくり返り、 帰る際に 熨斗袋を受け取ったまま返さないイエを 「 なんと 常識のない シワい( ケチ、強欲 )イエであることか 」と 皆から叩かれることになっており、 傍から そんな手のひら返しを見聞きさせられる私は、 あきれ返ってものも言えず、 で、この度。 近隣で、包むのは一律2万、と決まっているらしい額に、 何故 義母が悩まねばならないのか、と思ったら、 義母と本家との間で、諍いとなったのだった。 何10年も、分家として本家第一に仕えて来た義父母であったが、 本家は、既に代替わりして久しく、 現当主は 夫にとって10歳上の従兄夫婦である。 立場上、現在も 義母は 農作業こそ本家の手伝いはしなくてよくなったが、 ことある毎に、常に本家を立てている。 だが、本家御内室は いわゆる「 新人類 」であるため、 その言動に いちいち義母の腹に据えかねること多く、 いつも私があれこれと 愚痴を聞かされてきた。 今回は、近しい縁として、同じ法事の席に招待されるため、 本家より出過ぎては、と、義母が 包む額と持参するものについて 打ち合わせをしたいと思い、本家に連絡をしたことが発端である。 「 うちは 1万しか包まない。 御供も手土産も持って行かない 」 本家御内室にそう言われ、驚いた義母は 迷った挙句、「 近隣では 皆2万包むことになっている 」と言う。 したらば、御内室が 「 もし2万包んで、戻って来なかったら大損である 」 と言われた由にて、先年、本家の法要で「 シワい 」ことをされたため、 あちらこちらで皮肉を言われ、肩身の狭い想いをしていた義母は 「 シワいことをしたお前が言うな 」的に 一気に爆発し、 本家は夫婦で招待されているのだし、 あちらは、義妹夫婦の2人の合同法要である。 なにより そちらは「 本家 」であるのだし、 その本家が、1万円ではあまりに恥ずかしい と言い返し、 売り言葉に買い言葉か、 こちらを夫婦で招待したのは向こうが好きで招待したこと。 法要を2人分合わせてするのも、向こうの勝手でしたこと。 だいたい、亡くなって13年も17年も経つのに、 親類縁者を呼ぶほどの大きな法要をするのは 迷惑極まりない 等々。 本家御内室は激怒された由にて、とりあえず引き下がった、と、 義母の憤懣やる方なしの怒りが私に撒き散らされる。。。。 はぅ。 「 お義母さま。 佛さまは、全部 全部 観ていらっしゃいますから 」 無理矢理 そう宥めつつ。 本家・分家が未だに脈々と受け継がれてはいても 本家は 本家としての勤めを損得で量り、全うせず、 分家は 昔の本家の恩に縛られ、或いは恩を忘れ果て。 現在に残るは、互いの不備であったところの恨みつらみのみ。 今回の件の聴く限りにおいては、義母の肩を持たざるを得ないが、 これも義母からの一方的な愚痴であり、 まさかに 如何に 皆から「 新人類 」と称される御方でも、 仮にも法要に招待されて、迷惑だの、 お金が戻って来たら大損だのと、真っ向からおっしゃるハズはないと 思いたいのだが。。。。 むむむむ。 2010年。 平成の世ももうすぐ四半世紀がヤって来ようというのに。 未だに 個を認めず、地縁血縁で雁字搦め。 横並び一線で、それに逸脱することを許さない。 かと思へば、蔭で神社仏閣への寄附金額の多さを競い、 『 赤瓦 』か否か などを こころのよりどころとし、 「 あのイエよりはマシ 」 と 他者を貶めることで安心し、 大事の際には、横車を押す船頭ばかり。 これが 都会とは異なる地域力、の源だというのか?? 断じて 否!! と 私は 叫びたいっ!!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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