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私:今月の「異論のススメ」の課題は10月の同欄の「『新潮45』問題と休刊 せめて論議の場は寛容に」でとりあげた、議論の結論だけで、敵か味方かに単純化されてしまい、SNSがそれを増長する傾向が著しく、社会から「寛容さ」が急激に失われていることを佐伯氏は指摘していた。
今月も、同じ課題の延長で、米国の例をとりあげている。
佐伯氏は、トランプによって米国が二つに分断されたという見方があるが、そうではなく、すでに分断されていた結果がトランプを大統領に持ち上げたのであり、また、トランプは民主主義の敵であり、民主政治を破壊するという見解があるが、これもそうではなく、まさに今日の民主主義がトランプを大統領の地位に押し上げたと指摘する。
特に、レビツキーとジブラットというハーバード大学の2人の政治学者の著書「民主主義の死に方」という本の引用を中心に論じている。
A氏:彼らは、今日の米国の民主政治がまさにトランプという「独裁型」の指導者を生み出したと述べ、その背景を分析し、その経過を次のように書いている。
1960年代の公民権運動以来、米国は多様な移民を受け入れてきて、非白人の人口比率は50年代には10%だったのが2014年には38%になり、44年までには人口の半分以上が非白人になるとみなされる。
そしてこの移民のほとんどは民主党を支持し、一方、共和党の投票者は、90%ほどが白人であり、つまり巨大な移民の流入という米国社会の大きな変化が、自らを「本来のアメリカ人」だと考える白人プロテスタント層に大きな危機感を生み出し、その結果、共和党と民主党の激しい対立が生み出された。
当然ながら、「アメリカが消えてゆく」という危機感を濃厚にもつ共和党の方が、いっそう過激なアメリカ中心主義(白人中心主義)へと傾いてゆくことになった。
しばしば、トランプ現象の背景には、グローバル競争のなかで、経済的な苦境を強いられる「ラストベルト」の白人労働者層があり、トランプの反移民政策は、彼らの歓心を買うためのポピュリズム(大衆迎合)だといわれるが、それは、間違いではないものの、問題の根ははるかに深い。
共和党からすれば、民主党は「アメリカの解体」をはかっているように映り、今日、両者の対立は、もはやリベラルと保守といったイデオロギー的なものではなく、人種、信仰、そして生活様式という生の根本が分断された結果である。
私:この2人の著者たちによると、リベラルと保守という思想的な対立の時代には、共和党にもリベラルな政治家がおり、民主党にも保守的な考えがあったが、その結果、両者の間にはまだしも共通の了解が成立しえたし、ともに、国の全体的な利益のために、過度な自己主張を自制し、相手をあまりに断罪しないという「自己抑制」の不文律があった。
その上に、両派の「均衡」が成立していて、「礼節」や「寛容」を含む「自己抑制」という目に見えない規範だけが、アメリカン・デモクラシーを支えていた、というのである。
しかし、さらに2人の著者たちは、この目に見えない規範が共有されていたのは、実は米国は白人中心の国だという人種の論理が暗黙裡に共有されていたからだ、という。
だから、60年代以降、人種差別撤廃運動が生じ、明らかに民主主義は進展したが、ところが、その民主主義の進展こそが、共有された暗黙の規範を失墜させ、アメリカ社会の分断を導き、民主政治を破壊してしまっている、という。
たいへんに深刻で逆説的な結論であるが、確かに事実というほかあるまいと佐伯氏はいう。
この2人の著者たちが述べるように、民主主義なら政治はうまくゆく、という理由もなければ、米国の憲法や文化のなかに民主主義の崩壊から国民を守ってくれるものがある、などという理由もない。
これはもちろん、米国だけではなく、日本も含めてどこでも同じこと。
A氏:さらに、今日、何事においても事態を単純化しようとするメディアやSNSの影響力を前にして、民主主義は、すべてを敵か味方かに色分けし、対立者を過剰なまでに非難するという闘争的なものへと急激に変化している。
対立する両派とも、わが方こそが「国民の意思を代表している」として「国民」を人質にすることによって自己正当化をはかり、言い換えれば、対立者は「国民の敵」だという。
日本では、近年になって、人口減少化のなか、事実上の移民労働者数は急激に増加しているが、それが引き起こす社会の「分断」は米国や欧州ほど深刻ではなく、しかも宗教的対立は存在しないが、米国や欧州の事例から学ぶべきことは、民主主義の進展こそが様々な問題を解決してくれるなどと期待してはならない、と佐伯氏は指摘する。
ましてや、二つの陣営の激しい対決や批判の応酬こそが民主主義だなどと考えるわけにはいかず、民主主義を支える価値は、民主主義からでてくるのではなく、むしろ、非民主的なものなのであり、社会の伝統的秩序のなかにある「自己抑制」「寛容」「思慮」「エリートのもつ責任感」といった価値観は、それは伝統的な見えない社会規範とでもいうべきものであり、それが失われたとき、民主主義こそが独裁者を生み出すという古代からの「法則」は、今日でもまた現実のものとなりうるのであるという。
私:ところで、トランプ批判の米国のドキュメンタリー映画の監督マイケール・ムーア氏は日本のテレビインタビューで米国の民主主義の危機を警告していたが、それは、米国の投票率の低さという視点からだね。
日本同様、特に若者の低投票率が問題。
来週に迫った米中間選挙でどうなるかね。
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