テーマ:在宅介護(1594)
カテゴリ:父親
父には友達はいません。
友達をつくるとお金がかかるというのがその理由です。 お互いの家を行き来するには土産のひとつも持っていかなければならない。来てもらったらお茶のひとつも出さなきゃいけない。そんな事はお金がかかるし無駄な事という理屈です。 お金を始末して始末して、倹約質素をモットーに生きてきました。 お金をためるのが趣味みたいな。亡くなった祖母もです。 前に父の名で脳内メーカーなるものをやってみたら「金」と「食」の二文字のみ。 当ってる!! なんかね、人に対する「愛」とか「感謝」がないんですよ。 娘の私に対しても通常の分かりやすい「愛」じゃない気がします。 そんな家で育った私は反面教師というか。 それは間違っているのではないか?と全く反対の人になりました。 友達は大切。出会いも大切。 質素倹約もいいけれど、子供のためにはお誕生日会だってクリスマスだってやろうじゃないか。 (実家では誕生日がどうしたという感じでしたので) 本だって読むし、音楽だって聞くし、ライブだっていくし…みたいな趣味にお金を使う人になりました。 お酒も飲めば、煙草も吸う人になりました。 賭け事は宝くじだって買いませんが。 なもので、若い頃は衝突ばかりで、全く相容れないわけです。 今だってそれは変わらないのですが。 親一人子一人なもので、私しか看る人がいないし、覚悟を決めて、こういう事になってるわけです。 京都に来てから、父は毎日いろんな人に会いました。 得意先やら私の友達やら。ヘルパーさんやケアマネさんや、介護用品の会社の可愛らしい営業さんや。 今日も、いつも三人会をしてる72歳の友人がたくさんのおかずの差し入れを持ってやってきてくださいました。 もう一人の72歳の方は先週、お菓子を持ってやってきてくださいました。 得意先の方はカレーをつくったからと持ってきてくださいました。(前に来て下さった時に、老健でカレーを食べたけど美味しかったと父が言った事を覚えてくださっていたのです。) みんな私を心配してくださっているわけです。八尾のおっちゃん一家だってそうです。 (ほんと私は人に恩をうけるばかりで、どうやってこの恩を返したらいいのやら~な人です) 不思議な事に、友達はいらない・他人とはかかわらないぞ!と生きてきたはずの父が、いろんな方に親切にされて実に嬉しそうなんですよ。 ストップをかけないとずーっとしゃべってるんですよ。楽しそうに。 何やったんやろうか? 父は人嫌いではなかったのか? 「友達なんていらない!」と言っていた父は、誰よりも人と関わりたい人やったのか? なんか、そんな気がする。 歩けなくなって「要介護3」がついて娘と暮らすから、日和って娘に合わせているのではなく。 ほんとは誰よりも、人が好きやったのではないだろうか? ものすごい人付き合いが不器用な男やったんやないやろか? でもそんな単純な事でもない気もする。 なーんて考える今日この頃。 人付き合いが不器用な口の聞き方を知らないじいさんに、「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」を教える私でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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