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カテゴリ:DIALY
なんというか、
ここ最近は自省を強いられるような流れの中にあるようです。 Bonsoir. Ryutaです。 何事にも慎重にいるはずが、 失敗続きで、為るべくして為っているようにしか感じられないのは、 そのような流れの中にあるからでしょう。 というのは、今度は今年の初めに宣言したとおり流れに任せていたら、 流れに乗り過ぎてしまい、積み重ねてきた自分を見失いつつあるのです。 いや、或いはそんなものなかったのかもしれない。 また或いは積み重ねてきた自分は特に負の要素を多く持ち、 そんな自分は脱せられるべきだと感じているのかもしれない。 しかし若しくは、そこまで性根は腐っていなかったかもしれない。 いずれにしても、一連の流れの中に、 今回のような失敗続きの自省期間があるという事実は変わらない。 若しくは、いつの間にかまた直線的に物事を考えているのだろうか? これはあるかもしれない。 昨日は久々に言葉を凶器にして壁を作った。 それがいかに愚かなことかを、俺は今までで学んでいるはずなのに、 その瞬間何かがフラッシュバックして抑えきれなかった。 それはまぁ今はひとまず置いといて、 言葉の上を歩くことを、肯定的に捉えたり否定的に捉えたり、 自分自身何が正しいのかわからない。 一時期は、言葉を伝いながらも地に足をつけることを正義と考えた。 流れに乗ることとは、果たしてそこにあるだろうか? 単に浮遊していれば流れに乗っているが、 決して現実を見ているとは言えないと思う。 しかしそもそもが、夢を浮遊しているのではなく、 もはや現実を浮遊しているのならば、 それはそれで現実を見ているとも言える。 しかし今回のような自省期間が生じたということは、 流れに乗れているということは間違いないのだろう。 …なんだか「流れに乗る」ということが抽象的で俺にもよくわからなくなるときがあったり、 表現を連発することで宗教じみた印象をつけてしまうかもしれないが、 あくまで個人的な表現に過ぎない。 ひとつ確かに言えるのは、今までの俺にはトラウマとコンプレックスが尽きなかった。 それは被害妄想でもなんでもなく、 事実として公的に根付いている。 その過程で明らかに欠損している「何か」が、 今俺を悩ませている。 いわゆる「過去のことくよくよ言っても仕方ねぇよ」だが、 それは現時点から見て過去であって、 現在突き付けられている問題に変わりはない。 現時点で、直線的になっているのは認めよう。 自省をすべきなのは承知で、むしろ望んでいることなのだが、 果たして次の流れにこのまま乗っても良いのだろうか。 何しろ、今までの自分をよく覚えていない。 忘却に正義を感じ始めた今だからこそ、 怖くてたまらない。 或いはだからこそ、また流れに乗るべきなのかもしれない。 前年の自省期間といえるべき日々も、 その先に殻を破った自分がいた。 せっかく少しずつ良い方向に進んでいるのだから、 今振り返るべきときならば振り返れば良い。 前に進むことのみが流れではない。 それこそ、俺が脱するべき直線だったのだな…。 少しずつ、この機会に思い出してみます。 今の自分で、きちんと過去の自分と向き合ってみて、 また在るがままを心掛けます。 他の人よりも成長が遅いけれど、 自分なりに成長していきます。 いつかこんな風に意識もせず、言葉の力も借りずに、 自分は自分として素直に流れに任せられる日が来るのでしょうか。 まぁこんな自分はこんな自分で、 それも自分らしさかもしれません。 受け入れて、そんな自分らしさの中にも、 穏やかな生活を続かせたいものです。 書くことで、本質から遠ざかっているんじゃないかな、 ということも薄々気付いています。 そこには正解はなく、自分の生き方のヒントのようなものを凝縮しているのだと考えるべきなのかな。 言葉の上を歩くことは、 俺にとっては流れに乗るまでの糧みたいなものなのかもしれません。 何にせよ、ひとまずは酒飲んで休みます。 adieu! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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