|
テーマ:ママの気持ち(580)
カテゴリ:ママの日常
若干暗いお話です。 こんなこと書いて良いのかなぁ・・・と思ったけど、 スルーして下さいね。。。 長男(8歳)、次男(2歳)、 変な時間ですが・・・ただいまお昼寝中~((´I `*))♪ 子どもの成長って、なんとも言えない幸せを感じますねぇ~。 でも、長男の産後は、いろいろ苦しんだような記憶があります。 育児に関して、 もちろん何も分からず子育てが始まったわけですけど、 義両親からの干渉が一番きつかった。。。 長男産後の授乳の時だって、 私が母乳をあげていれば、 「えらいわねぇ~」 長男がちょこちょこ泣けば、 「足りてないんじゃないの? ダメなおっぱいねぇ」 私自身は母として否定されたような気持ちになって、 悲しくて自分を責めたりもしました。 どうしたら良いのかわからず、ミルクを足して、 母乳→ミルクへ移行していきました。 しかも、ミルクをあげるのは義母ばかり。 正直、私だってもっと抱っこしたい。ミルクを飲む顔を見たい。 と思ったけど、なんだかわからないまま、 子育てに関しては遠慮するようになってしまった私でした。 今考えれば、 産後の不安定な時期だってのに、なんてデリカシー無い義両親なの?!って思いますけどね。 その時はそんな風に考えられなかったなぁ。 長男産後半年ほどから、パートとして仕事復帰して、 ベビーベッドを私の机の後ろに置いて、 長男を寝かせておいての仕事。 長男が泣いて起きた時は、私が一番ベッドから近いのに、 義母が「よしよし~」って駆けつけるのを遠慮して、 子どもの方を振り返れなかった記憶もあります。 細々あげたら思い出すにもキリの無いくらい、 それくらい義両親は孫をかわいがってくれてました。 そんな前の事を根に持ってる・・・って言われちゃうかもですが、 思い出すとなんだか切なくなってしまう私です。 悪気は無いんだと思っています。初孫かわいさなんだと思ってます。 だから、普段はあまり思い出す事は避けてますね。。。 長男が風邪をひいては、 「また風邪をひかせて。親の責任だ」 怪我をすれば、 「また怪我をさせて。目を離すんじゃない」 長男に何か良くない事があると、 全部自分のせいだ。。。と思っている自分がいました。 そんな精神だったものだから、 2人目が欲しい!って気持ちと同じくらい、授かるのも怖くて。 妹からは、 「2人目が出来たら、たぶんじじばばも変わるよ~! 孫なんて大変で面倒見てられないわってなるから~!」 なんて言われてましたけどね。 夫は自然に授かるのを待てばいいんじゃないの?って感じだったので、 間があいていく不安はあったものの、焦ってはいませんでした。 ただ、長男が4歳になって、幼稚園に入園してから、 「どうして僕には弟とか妹がいないの? お友達はお家に帰ったらいるのに、僕は1人だよ~」 と、しくしくする事もあったので、そろそろはねぇ…と思う気持ちもありました。 そんななか、不正出血があり・・・ 病気だったらヤダなぁと思って、婦人科を受診してみたところ、 妊娠反応がありますよ?との事。 ただ、反応はあるものの、成長している気配が無く、 まだ生理予定日前だったし、様子を見ましょう。と言われ、 その後、姿も見えるほど成長する事無く、自然に流産しました。 婦人科受診していなければ気づかなかった、 これがよく聞く「科学流産」ってやつ?なんて思いながら、 私はまだ妊娠出来るんだ~♪って、不謹慎ながら、嬉しかったですね。 そんな前向きの気持ちが効いたのか、 それから3ヵ月後に、めでたく妊娠♪ 同じ婦人科を受診して、妊娠確認をしてもらい、 最初は無事に、妊娠が継続していきました。 その時通っていた婦人科は女医さんで、 妊婦検診出来るところでは1番か2番目に近かったし、 とても丁寧に優しく診察してくれるので、 近所のママさんたちも通っている人が多かったです。 ただ、産科が無いので、臨月には産科のある病院へ転院しなくてはならない。 というデメリットもありましたが、 婦人科まで約25キロ?、産科のある病院まで約40キロ?って考えたら、 それが賢い選択だと思ってました。 妊娠4ヶ月に入ったらサービスでビデオ録画もしてくれるので、 私ももちろん録画してもらいました♪ 長男の時通っていた産婦人科では、超音波のモニターさえ見た事無かったんです。 写真だけ。 だから、手足を動かしている赤ちゃんをビデオに録画してもらって、 すごく嬉しかった♪ そして、妊娠14週、日曜日の午後、 ぱしゃっと何かが出ました。 おもらししちゃった?!と恥ずかしくて、すぐ着替えにトイレへ。 出血が。 なんで?なんで?と思いながら、 夫へ説明。 通っている婦人科へ電話してみたけれど、 日曜日は休診日なので、誰も出ない・・・ 緊急の連絡先も、診察券には書いてないし・・・ で、近くの消防署へ電話して、 「今日これから診てもらえる産婦人科はありませんか?」 と聞いたら、 「えーと・・・ありませんねぇ・・・どうかされたんですか?」 妊娠4ヶ月という事と、症状と、 かかりつけの婦人科は休診で電話がつながらない事を伝え、 消防署の方が、探して折り返し連絡します。といったん電話を切り。 折り返しかかってきた時には、郡外の市立病院へ行って下さい。との事だったので、 義両親に急遽長男を預け、 夫に運転してもらって、その市立病院へ行きました。 そして診断は、「胎児死亡、分娩が始まっている状態」との事。 お腹の中で、赤ちゃんが死んだのが先か、破水が先かは不明ですが、 すでにお腹の中では異物とみなされて、分娩が始まっていると言われました。 そして、例えもし生きていたとしても、 福島県では7ヶ月より小さい赤ちゃんを生かしておける医療は無いです、とも。 呆然としてしまって、よくわかりませんでした。 2人目を授かる事が怖いと思っていたから? 実際授かってからも、長男の時の気持ちが蘇ってきて、 正直怖いと思っていたのは本当なんです。 母として認められないような自分が、また子どもを生んで良いのか?って。 マタニティブルーだったんでしょうかね。 即入院となり、病室では、 「ちゃんと生んであげられなくてごめんね」と、また自分を責めちゃってました。 一晩、自然に陣痛が始まるのを待ちましたが、 出てくる気配が無かったので、翌朝は促進剤を入れて分娩。 妊娠4ヶ月以降は流産じゃなくて、死産なんですよね。 分娩する前に、先生から説明されたのは、 「赤ちゃんは出てきてすぐは、お母さんの体温で少し温かいはずです。 抱っこしますか?」 「その時考えます」と答えましたが、 実際分娩した時には泣いて混乱してしまって、 抱っこしてあげる事が出来ませんでした。 処置が終わって麻酔から目が覚めて、赤ちゃんとご対面させてもらいましたが、 身長約15cm、目や鼻や口の形も出来ていて、 まだ皮膚はちゃんとしてないので、まさに赤い赤ちゃんでした。 先生が言うには、男の子だったらしいです。 この事もあって、夫は、 「何人子どもを作っても、うちら夫婦には男しか生まれないような気がする」 と言いますね(苦笑) 退院してからは、病院で産後だと思って休んで下さいと言われた、 と義両親には嘘をついて、1ヶ月くらい仕事は休みました。 長男が幼稚園に行ってる間は、ひたすらごろごろ寝て引きこもってましたね。 ちっちゃい赤ちゃん、火葬されたけど、拾えるような骨なんて無かったよ。 灰なのか骨なのかわからないけど、 火葬場の人が教えてくれた粉を拾って帰って来ました。 義父が分骨用の骨壷を買ってくれて、そこに入ってます。 火葬する時に呼んだお坊さんが、 「今日これで火葬が終わりましたので、もう命日とかそういう事はありません」 と説明してくれました。 命日じゃないけど・・・今日がその分娩した日、なんです。 赤ちゃんがお腹から出てきた日。 命日じゃないけど・・・なんとなく、 携帯のスケジュールには、記念日マークをつけてしまっています。 それで思い出して、こんな日記を書いてしまいました・・・。 不思議だな~と思ったのは、 私がどう思おうと、体は回復するんですね。 ちゃんと1ヶ月後ぴったりに生理が始まりました。 それはそれで、私って思ったより丈夫なんだ~♪なんて。 前向きに♪ それから半年後、めげずに?再び妊娠。 これが、現在手に負えないほど我の強い次男です。 次男を生んでからは、私、強いですよ~。 と言うか、図太さが増しました(笑) それは、授乳服と言う鎧?を着て、完母にこだわったから…かもしれません。 もう絶対長男の時みたいな思いはしたくないっ!と思って、 義母から出産祝いは何が欲しい?と聞かれた時に「授乳服!」と答えました。 「買ったからには無駄にしないよう、完母でいきますからね!」 の意思を表したつもりだったのかもです。 これが私の授乳服デビューのきっかけでした。 ちょっと不純ですけどね・・・(^^;) 母として、自信を持てたきっかけでもあったように思います。 でも、それからしばらくして、まさかアレほど授乳服にハマルとは予想もしてませんでしたけどねっ。 本当に感謝感謝なんです。私にとって授乳服の存在は。 ブログを通じて、素敵な方々ともお友達になれましたし♪ 結局のところ、とりまとめも無い日記となりましたが、 私にとって今日はこんな日、なんです。 携帯に記念日マークをつけておかなければ、おそらく、忘れちゃうくらいの日付なんです。 現に、夫もしっかり忘れていると思いますよ。 今日も元気にパチンコへ行きました~ギャンブラーで困っちゃう。 こんな日記、長々と読まされちゃった方、ごめんなさい...m(_ _)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ママの日常] カテゴリの最新記事
|