Who is “JIRO”?
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よしなしごと…411
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今朝はここ2日間よりは暖かかった。通常通りの行動で,職場には余裕を持って到着した。九州人は雪に弱い。1校時目の授業の準備が不十分だったので,サササッと用意する。ふむふむ。大丈夫。前もって教務主任には言われていたが,今日は授業が満杯。空き時間なし。空き時間には教材研究とか,書類の整備とか校内での係の仕事とかいろいろと片付けないといけないことがある。つまり,授業がいっぱいで空き時間なしということは,仕事がはかどらないことを意味している。今日は,ハードな一日になりそうだ…。実際,疲れた。足の裏が痛かった。でもまぁ,たまにはこんな日があってもいいかな。今日は病院の日なので,早めに帰る用意をする。パソコンの電源を切ろうとしたところ,自宅のA子のパソコンがオンラインになっていた。こんな時間に家でA子のパソコンをいじるヤツは一人しかいない。受験生の次女だ。職場と家とでチャットに入る。「○○(次女)か?お父ちゃんたい。」「うん。○○だよ。」「もう帰って来たとやったら,洗濯物とか頼むぞ。」「は~い」「お父ちゃんは今日は病院に行って帰ってくる。」「うん」「お母ちゃんも整骨院に行ってくるって。」「ぢゃ遅くなるって事?」「たぶんね。時間ば大切に使えよ。」「は~い」「そいじゃ。」「ばいばい」「ばいばい。」簡単に連絡が取れる…すごい時代になったものだ。PCに向かっているというだけで,何をやっているかはわからない…。さっと電源を落として職場をあとに病院へ。でも,今日は薬をもらいに行っただけのようなもんで,大した話はしなかった。今日はまずまず順調な一日だった。
2009/01/28
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今日は次女の初受験だった。第2志望の女子校。私とA子の大学時代の友人が務めている。もちろん,教科は私と同じ数学。…落ちたら…むむむ…。放課後,勤労意欲がなくなったのでメールチェック。すると,次女からメールが…。タイトル『終わったー』「さっき帰ってきた!!! 思ったより簡単やったばい☆ たぶん合格できるョっ笑」…この脳天気さが親を不安にさせる。去年の長女の受験とまったく同じパターンなのだが,去年は日記に書いたかなぁ。忘れちゃった。返信「どうやったかなって,思いよった。まずは一安心やね。でも,本命はこれからやっけん,気ぃ抜くなよ。」帰ってから数学の試験内容を聞くと,「数学はちょっとやられたなぁ。」しばらく考えて解けなかった問題ってのを聞いてみると,私は即答。計算する必要もない。おいおい。大丈夫かよ…。次女の自信を信じるしかない。
2009/01/27
新しい週が始まった。出発前はちょっと気分が沈みがちだったが,職場に着くとどうってことはなかった。そういえば,今日は雪のために2,3分遅刻してしまった。家を1時間以上前に出ていることは管理職も承知の上なので,とやかく言われることはなかった。仕事の面では特にこれといって特筆するようなこともなく,何事もない一日だった。授業も楽しくできた。この調子で乗り切っていきたい。
2009/01/26
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今日は午後から出張に行ってきた。小学校算数の研究発表会だった。2年前,もし私が休職しなかったら…あの先生のように,会に集まった人に向かって研究の概要説明をしたり,質疑応答に答えたりしないといけなかったのだ…。そんなことを考えていると,ちょっと動悸が…。その帰り,久しぶりに懐かしい道を通った。前任校のすぐ近くを通るので,ちゃんと土産を用意していた。「こんにちは。」職員室を覗く。「はい,どちらさまでしょうか?」知らない顔だ。「3年前までこちらに務めていた西川と申します。○○さん(用務員さん)はもうお帰りになりましたか?」もう,勤務時間は過ぎている。「はい,帰りました。」「じゃ,これをみなさんでどうぞ。」と土産を差し出す。「どうもありがとうございます。」「校長先生はいらっしゃいますか?」「はい,居ります。」「それじゃ,ちょっと失礼します。」「はい,どうぞ。」勝手知ったる校舎。これまた土産の焼酎片手に校長室へと向かう。校長は,私のことを気にして電話をくれるときはいつも酔っている。家族は子どもたちの進学に合わせて,みんな福岡にいる。…一人暮らし。田舎の校長公舎で一人寂しく焼酎を飲んでいる姿が目に浮かぶ。3年前,この学校に勤務した最後の年,私は3年担任で校長の末娘も受け持っていた。そしてその子は福岡の高校に進学していった。県外受験の手続きは書類の様式が違ったりするので,ちょっと手間暇がかかる。「面倒をかけた。」という思いがあったのかもしれない。担任していた子たちの卒業とともに私も転勤。いままで31kmだった通勤距離が50kmに伸びた。その内示のとき,校長は言った。「ゴメンねぇ,私の力不足で遠くになってしもうて…。」そんな縁もあるのかもしれない。校長は私の休職に責任を感じているようだった。校長室は開いていた。そして,校長は何か書類に目を通していた。付箋がたくさん付いていた…。細かく見ているのだ。「こんにちは。」私の方をチラッと見ると,校長は「おぉ…!」と言った。私が復職したことはうちの学校の校長から連絡が行っている。「お久しぶりです。」「まぁ,入らんね。」校長室のソファに座った。「今日は,どうしたと?」「出張に出たので,久しぶりにこっちを通ってみました。」「そうね。先生の戻ってよかったばい。どげんなるとやろって思うとったもんねぇ。」「ご心配をおかけしました。」この校長はもともと五島の人。次の異動では,おそらく五島に帰る。「きちんと顔を見せておかないとと思いまして…。」「そうねぇ,やっぱりこげんして顔見せてもらえば安心するばい。どうね。もう慣れたね。」「はい,復職訓練の頃からするともうずいぶん慣れました。」「前からすれば,先生たちもだいぶん替わっとったとでしょう?」「そうですね。職員室の雰囲気はずいぶん変わりましたね。」「そうやろうねぇ。」忙しそうだから早めに引き上げた方がいいかなと思いつつも話し込んでしまった。「△△さん(末娘)は,もう高校卒業ですね。どちらに進むんですか?」「う~ん,ようわからんばってん,どっかの専門学校に行くって言いよったよ。福江も福岡も遠してねぇ…。」ふと室内を見渡すと歴代校長の顔写真がある。先週一緒に飲んだ,私がこの学校に赴任した当時の校長の写真もある。その校長からいま目の前にいる校長まで,6年間で4人の校長の下で働いた。いい職場だった。毎日が楽しかった。先週の飲み会の通り,ただ保護者の方だけでなく,地域の方々との付き合いもあった。もう,こんな学校に務める機会はないのかもしれない。途中,私の知らない女性の先生がお茶を運んできた。「この人が西川先生。」校長が紹介する。「お名前だけはかねがねお聞きしてます。」「囲碁が強くてね,五段なんですよ。」「そうなんですか。」「いやはや…恐縮するばかりです。」四方山話は尽きなかったが,仕事の邪魔になってはいけない。「では,また来ます。」「うん,先生の復帰祝いもせんばねぇ。」「いやぁ,もう,お気持ちだけで…。ありがとうございます。」まぁ,社交辞令だろうがありがたい言葉だ。校長は五島へ帰る。定年までの残り年数もあと3年。私はもう,離島勤務はおそらくない。つまり,もう一緒に仕事をする可能性は限りなく0に近い。たった1年だけの上司だったが,娘さんのこともあるし思い出に残る校長になるだろう。
2009/01/23
家に帰って,夕食後くつろいでいた。居間でノートパソコンに向かっている私の横で「ぷーっ。」と音がした。ふと見ると風呂上がりの次女。「お前なぁ…。」と一瞥。すると,もう一度「ぷーっ。」あきれて,「いい加減にせろよ。」次女曰く,「いいたいね。お父さんだってするじゃん。自然現象だし。」「お父ちゃんとお前は違うやろ。」「ここは家族しかいないしさ,くつろげる場所じゃん。」「そうか,じゃ,お父ちゃん,明日学校で言うわ。『うちの次女がですね。居間で堂々と屁こくんですよ。』ってさ。」口調がガラッと変わった。「言わんでよ,絶対。」「別にお前を知らん人ばっかりやし,いいじゃん。」「ダメだよ。」「そうだろ。お父ちゃんとお前は違うんだって。言われたら恥ずかしいこと,すんなよ。」男女平等といってもねぇ…。次女は中3の受験生。お年頃でーす。あぁ,屁いぃわな一日。お後がよろしいようで…。
2009/01/22
今日も一日仕事を終えた。疲れた。これでも,他の同僚よりも楽させてもらっているのになぁ。授業の用意にも時間がかかる。実力テストの訂正ノートのチェックもいまだに終わらない。きついけど,がんばらねば…。…放っておくと仕事がたまっていく…。なはは…。
2009/01/20
花の金曜日。仕事を終えて…今日は飲み会。それも…なぜか,幹事。しかも,職場の近くで飲むため,私は飲んだら帰れない…。せっかくの飲み会だというのに,飲めない。私は普段飲まなくても特にどうということはないが,飲み会のときに飲めないのはつらい。会費5,000円。今回の参加者10人。豪勢な料理+飲み物代=50,460円欠席者からの寸志があったので,クリア。結構,楽しむことはできた。同僚を一人送って,家に着いたのは22:30頃。予定通り。まずまずの新年会だった。
2009/01/16
手元に文化祭のDVDがある。生徒たちが作った作品をダビングしたものである。これはパソコンでコピーされている。オレにもできるはず…だよね。遅ればせながら…挑戦フリーソフトを使ってハードディスクにコピー。ハードディスクからDVDに焼く…。手順はわかる。ただ,このソフトは以前からこういう時のために持っていたが,使うのはまったくの初めて。この作業ができるようになれば…用途はいろいろ…ムフフ。これまでHDDレコーダからのDVDコピーしかできなかったし,それで満足していた。動画をPCで扱う気はなかった。でも,人がPCで手軽にコピーしている姿を見ると,自分もマスターしたくなる。よく言えば,向上心。悪くいえば,物好き。でも,できるようになりたいんだ。とりあえず,HDDにコピーはできた。あと半分の作業ができるかどうか。できることを祈って…。奮闘あるのみ…。明日,明後日は連チャンで飲み会。明日は飲まずに帰ってくるが…更新できるかな
2009/01/15
ハッピーマンデー制度が始まってから,どのくらいになるのだろう。月曜日の休みが増えて,連休が増えたのは事実である。でも,一方でウィークデーにしかできないことが休みになったためにできないということもある。例えば,大型2種の免許を取るときがそうだった。月曜日が休みだったためになかなか予約が取れなかったことがあった。学校の時間割でもそうである。月曜日の授業は必ず少なくなる。一長一短である。今年の我が町の成人式は日曜日に行われたそうである。確かに,祝賀会や県外在住者の移動のことを考えるとそのほうが都合がいい。でもそうなると,成人の日が移動日になる。変なの…。今日は,実力テストを返却した。代わりに冬休みの宿題を回収。チェック作業が始まった。のんびりゆっくりマイペース。空いた時間の有効利用。着実なペースを維持して,この3学期を乗り切りたい。
2009/01/13
高校の同窓会から一週間。東大卒の副社長はタイに帰ったことだろう。京大の大学院を出た博士は八王子に帰っただろう。もう一人の地元の友達も普段通り出勤しているに違いない…。私も復職し,出勤している。今日は実力テスト。全学年とも5教科のテストがある。テスト監督は2学期の期末テストでも行った。でも,今回は出席簿に自分の名前を書かなければならない。う~ん,復職したんだなぁ…。些細なことに,しみじみと思う。私が作った1年数学のテストは4校時。中程の時間に,生徒たちの質問を受けに教室を回る。しかし,質問はゼロ。進み具合を見て回ると,かなり進んでる。易しすぎたかな?職員室に戻る途中で,校長に会った。「今回のテストは先生が作ったんですか?」「はい。」「平均はどのくらいになりそうですか?」「私はなかなか予想が当たらなくてですね…。60点いけばいいと思って作るんですけど,今回はどうも易しかったみたいでした。」「じゃ,70点とか?」「そうですね。どうでしょう。」放課後,採点をする。きっと,家に持ち帰っても憂鬱になるに違いない。「採点して帰るから,遅くなる。」A子にメールしておく。採点は,後々の評価のことも考えて観点別に集計する。そのために,問題,観点ごとに点を出し,パソコンに打ち込めば,個人の点数から集計まで一気に終わるという仕組みにしてある。68人分…どのくらいかかるかなぁ…。とにかく,気合いだ黙々と採点をしていく。そして,ときどき同僚たちと会話して,気を紛らす…。時間が過ぎて…無事終了。20:30。こんな時間まで職場にいたのも久しぶりだ。平均49.6どういうことあの速さは何だったんだ??のんびり家に帰って,着いたのは21:45。これで,ゆっくり3連休を過ごすことができる。まぁ,明日が休みじゃないと,こんなことはできないけどね。めでたし,めでたし。
2009/01/09
今日は,朝から年賀状で住所録の整理をした。やっぱり,結構移動がある。毎年,マメにこの作業をしておかないと,次の年に年賀状を出すときに手間取ることになる。今日は同窓会。13:00からと思っていたら,14:00受付15:00開会。何だ…。ということで,初詣に付き合うことにした。まずは次女の受験合格祈願。次には私の復職&健康祈願ってとこかな…。同窓会には,どのくらい集まってくるかな。少し期待しながら,行ってみよう。
2009/01/02
明日から,A子の実家へ帰省する。お土産とかを買いにA子と子どもたちは出かけた。私は一人のんびりくつろいでいたが,母から電話があって,お土産を持って行ってくれと言われた。せっかく出るのなら,何かついでがないかな…。今年は年末ジャンボを買いそびれたので,初夢宝くじを買うことにした。いい夢が見れるといいな。パジャマの上にウィンドブレーカーを上下着こんで出陣。宝くじを買い,実家からのお土産,お香典を預かって帰って来た。そのあとは昼寝。休みに入ってから,朝でも昼でも夜でもいつでも眠れる。食って寝て…体重は増えている。いいことなのかな??他の家族が帰ってきて,夕食。風呂に入って,明日の出発の用意をして寝るだけだ。さて,1泊2日。PCを持って行くかどうか,微妙…。どうしようかな…。
2008/12/29
昨日の打ち納めは,1勝1敗だった。負けが2目負けだったのがちょっと悔しい。もう一息追い込めれば…でも,精一杯だったのだからしょうがない。どうかな?「打ち納め」と言いつつ,ネット碁を打ってたりして…。昨日の夜の部に行く前に,年賀状を書いた。といっても,年賀ハガキのほうはすでに出してしまった。教え子の高校生,大学生向けのアケオメールだ。全部で21通…。さぁ,そのうちどのくらい届くのだろう。なにしろ,高校生も大学生もよくメアドを変えますからねぇ。メアド変更の連絡が来ている分は届くんだろうけど…。正月はメールも飛び交う。元日の朝,普通に目覚めたぐらいの時間に送ることにしよう。今日はのんびりと過ごしている。明後日からはA子の実家に帰省する。帰省といってもすでに両親は亡くなっており,独身のお兄さんがいるだけだが…。私の病気のこともあって,1泊2日。慌ただしい帰省になりそうだ。NHK杯の河野臨九段vs結城聡九段の一戦をのんびりと観戦した。三女もそばにいたので,白の狙い,黒の狙い,次の一手の予想など解説してやったが,余りよくわからなかったようだ。当たり前ではあるが…。それよりも,もっと面白い番組を見ようよ…と言いたそうだった。それでも,「これは,結城の勝ちだな。もう白投了するばい。」と言うと,「本当?その投了の瞬間ば見たい!どげんすると?」とのたまう。「普通に打ってるときは,アゲハマを盤の上に置くとばってんね。テレビでは,あまり局面ば崩さんごとするもんね。アゲハマの上に手を置いて,『負けました。』って一礼することが多いかな。」そうこうしているうちにも,手数は進んでいる。「これで投了かな?」と言っても,河野九段なかなか粘る。そのうち,三女の集中力も切れてきた。その瞬間,白投了。「あ,投げた」「えっ見逃した…。」ちゃん,ちゃん。サッカーのゴールシーンではないので,リプレイはない。こうして,今年最後の日曜日が過ぎていく…。
2008/12/28
昨日は職場の忘年会だった。私は睡眠状態があまりよくないため,泊まることもできず,やむなく欠席することにした。A子は今週火曜日と今日の金曜日に忘年会がある。少し気が引けたのかもしれない。「二人で忘年会しようか。」と言った。昨夜,町内の居酒屋へ行き,二人で飲んだ。たわいもない話をしながら,酒を飲んだ。焼酎をキープし,焼き鳥を食べながら時間は過ぎていった。まあ,こんな忘年会もいいかな。A子は,いま楽しんでいるかな…。忘年会とはいっても,今年は忘れることができない一年になるだろう。
2008/12/26
おぉ!こんな生活だったよね…。今朝目が覚めると,A子は出勤,長女は学校,次女は塾,三女は私の実家へとそれぞれ出かけており,私は一人きりだった。そう,3ヶ月前の生活と一緒だぁ…。せっかくの一人の時間,どう過ごそうか…。小考,決断は早かった。まずは,先日しかけたままのマル秘文書処理作業をしよう!ワックスがけの際,処分しておかなければいけないはずの数年前のマル秘書類の山が出てきたのだ。アブねぇ,アブねぇ…。今の時代となってはシュレッダーにかけるしかない。でも,我が家のシュレッダーの処理能力は低く,時間がかかる上,すぐにストライキを起こす。加熱して動かなくなってしまうのだ。まずは,動かなくなるまで書類を処分し続けた。それでも,ゴミ袋いっぱいにはなった。全部を処理するまでには至らなかったが,一応目標達成かな。また次のときに続きをやろう。そのあとは年賀状書き。今日中に出せば,1月1日に届くそうだ。ササッと書いて,出しちゃおう。せっせと書き続けた…。次女が塾から帰ってきて,「私も書くから,一緒に出して。」…あいよ。書き終わったぁ…。家族写真を印刷しているから,一言ずつコメントを入れていくだけではあるが…110枚。う~ん…これだけでも今日一日休んだ意味あったかも。長女と次女は,次女作の二人のプリクラ入りカラープリントを用意している。次女が作っているのを見て,長女が「私にも使わせて。」と言ったらしい。三女は…枚数も少ないし,手書きかな?こうして,年末の一日は過ぎていく…。
2008/12/25
寒い一日だった。学校というところは,なぜか教室に冷暖房はない。そう言えば,長女は「高校の教室は冷暖房完備だよ。」って,言ってたっけ。ということは,小中学校は…ってことになる。この世の中,外気温をそのまま感じる環境はそんなにないものだ。きっと,「我慢すること」を学ばせているのだろう。2学期も,あとは終業式を残すのみとなった。私にとっては,2006年7月の終業式以来の終業式だ。実に2年5ヶ月ぶり…。終業式が終われば,また大晦日までは休職だ。年が明けたら…。大丈夫かなぁ…。今日,A子は忘年会。金曜日にも忘年会。いいなぁ…。私は木曜日に忘年会があるが,欠席することにした。会場が家から遠く,帰れない。泊まる手配はしてもらえるが,泊まって妙な夢でも見たら同僚たちに迷惑をかける。またの機会に飲むことにしよう。まずは,明後日。2学期最後の一日を勤め上げよう。
2008/12/22
明け方はすごい雷雨だった。私は10時を過ぎて起きたが,「雷の鳴りよったよね。」と聞くと,次女が「うん。」と答えた。「やっぱり夢じゃなかったんだな…。」明後日はワックスがけの業者が来る。その前に片付けもしなければならない。年賀状の用意もしなければならない。やるべきことはあっても,やる気がしない。「父ちゃん,ベッドの横の荷物は片付けた?」休職中のこの2年間に寝ながら読んだ本や新聞,取得を断念した行政書士のテキストなどが積んだままになっている。書斎にも,休職に入るときに職場から持って帰ってきた荷物が段ボールに入ったまま置いてある。復職訓練の間はできるだけ職場の荷物を増やさないようにしていたので,こちらもそのままの状態である。…あぁ,億劫…週刊碁の年末年始合併号が届いていたので,早速プレゼントクイズを解いてみる。それほど難しくなかった。こんなのはすぐに片付くのにね…。住所録の整理や,喪中ハガキのチェックもしないと…。明日は仕事か…。嫌なことを後回しにして,先に進まない。いつものこと。でも,そろそろ重い腰を上げないと間に合わなくなりそう…。う~ん…。
2008/12/21
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やっと,今週も乗り越えた。へろへろです。今週は,何回も「休みたい。」と思った。疲れて疲れて…。特に,朝からの疲労感がたまらなかった。でも,出勤してしまえばカラ元気が出て,何とか乗り越えてしまうのだ。毎朝弱気になる夫を,A子は励まして送り出してくれた。「この復職訓練を乗り越えられなかった人はたくさんいるんだから。お父ちゃんはよく頑張ってるよ。」来週は2日だけ行けばいい。年賀状の準備もしないといけないが,まずは週末をくつろぐことにしよう。
2008/12/19
今日は学年・学級PTAがあった。私が復職訓練に入ってから初めてのPTAだった。私は学校にいて,授業もしているけれども,まだ休職中。微妙。どうしたらいいモノか…。出るべきか,出ざるべきか…。学年主任に聞いてみる。「う~ん。出てもらった方がいいんじゃないかな。授業もしてるんだし…。上は何て言うかな。」教頭に聞いてみる。「3学期のことを考えると出ておいてもらった方がいいと思いますよ。ただ,校長か私が行って,保護者の皆さんに紹介しないといけないでしょうね。先生は大丈夫ですか?精神的な負担は感じませんか?」「はい,大丈夫です。」「では,校長に伺ってみます。」最終決定は校長がする。学校の最高責任者だから,決断を下すのも責任を取るのも校長である。校長の意思は,教頭を通じて承った。「まだ復職が決定していないので,今日のところは出ないでほしいとのことです。3学期に正式に復職してから,生徒を通じてお知らせしましょうとのことでした。よろしいですか?」「はい,わかりました。」やっぱり,微妙な立場なのね…。その時間,のんびりと授業の用意をしながら過ごした。こうして,今日も一日が終わる…。
2008/12/16
今日は,朝からメールがどんどん来た。最後に担任した子たちからのメールだ。前任校は小規模校だった。最後の年は中学校3年生10人(男子4人,女子6人)を担任していた。そのうちの5人からメールが届いた。涙が出そうになった…。2年生のとき,9人(男子4人,女子5人)だったそのクラスの担任がノートを作り,1日1人として,クラス全員で交換日記をしていた。それを3年生になっても引き継いだ。転校してきた1人を加え,それに担任である私も参加した…。そして,私はそのノートを『ラブラブノート』と名付けた。内容は,たわいもない身の回りの出来事だったり,思ったこと感じたことだったり,クラスの中の誰かに宛てたメッセージだったり(当然,他のみんなが読んでも可),クイズだったり,占いだったり…何でもよしだった。ほかの10人の日記を読んで,自分が書く。少人数だからこそできることではあるが,誰にも遠慮なくいろんなことが書けるというのは気心の知れた間柄でないとできないことだ。転校してきた女の子もビックリしたに違いない。担任になってその日記の存在を知った私も驚いた。「このクラスの仲の良さの源はこれか…」そんなことを思った。たった3年前のことだけど,今となっては思い出のクラスだ。その生徒たちの卒業とともに私は異動。その次の2学期から,私は職場を離れた…。もしかすると,私が担任した最後のクラスになるかもしれない。それはそれで,いい記念かもしれない。彼らは私が仕事を休んでいることを知っている。小さな学校なので,情報がすぐに伝わる。「先生は,私のお母さんと同い年でしたね…。」「先生,元気ですか?センター試験が近づきました。がんばります。」「先生,これからもお世話になります。」そんなメッセージが5つ…。名古屋の企業内高校に進んだ子からも…。私は幸せ者だ。A子にも言われた。でも,「先生」に戻れるのかな…。この子たちに,心配をかけてもいけないしね…。今日は一日そんなことを考えながら,学校での時間を過ごした。ありがたいメールが,プレッシャーにもなった。一つ一つのメールに返事を書いた。明日から休み。リフレッシュできるといいなぁ。
2008/12/05
今日は,土曜日に行きそびれた内科の受診に行った。インフルエンザの予防接種と思われる親子連れが多かった。これは結構時間がかかるなぁ…。私はいつも病院の待合室では新聞を読む。それも必ず,我が家でとっていない地元紙。今日は時間があったので,結構読むことができた。…ふとみると,ここの院長が病気の解説記事を書いている。おうおう,先生もがんばっていますね。記事の話を振ると,先生は,「ああ,あはは…。」と一笑いした後,「年を取ってくると誰でもあちこち緩んでくるんですよね。あれは,そのせいで起こる病気のことなんです。西川さんぐらいのお年では,まだまだ関係ないですよ。」診察はいつも通りだった。血圧を測り,血中酸素濃度を測った。異常なし。「次は血液検査をしましょう。」まだ,待っている人もいたためか,今日の診察は短時間だった。いつもの薬をもらって帰った。いつになれば,薬とおさらばできるのかなぁ…。
2008/12/01
今日は囲碁教室…と思いきや,公民館行事のためにお休み。連絡はあったはずなのに,私の三女もおまけに親父も聞いていない。まったく…人の話はよく聞いておけよな…。内科受診の日。行かないとなぁと思いながら,うだうだと昼の時間を過ごす。病院に行ったのは4時過ぎ。「本日の診療時間は終了しました。」…まったく…ちゃんと確認しておけよな…。夜の部には参戦。今日は1勝1敗。今節の通算2勝3敗。今日の負けは親父だった。久しぶりに打った。8子だもんなぁ。そう簡単には勝てないよねぇ。明日は,この公民館の世話役の皆さんが開いている碁会がある。さぁ,どんな勝負が待っているかな…。
2008/11/29
このブログに再セットアップの記事を書くのは何回目だろう…。自分のPCだったらあきらめもつくのだが,親父のPC…。もっぱら,インターネット囲碁専用機。他のことといってもゲームばっかり。フリーセルとかスパイダとか。あぁ,私がちょっと気を利かせて入れた麻雀もよくやっていたそうだ。そのPC(ゲーム機といったほうが適切??)のHDDがクラッシュ4万円ほどかけて修理したという…。そのことを聞いたのが,昨夜の夜の部へ行く車の中。HDDということは…当然データ全滅。再セットアップしてやるしかない。何も言わないが,親父は,当然私が何とかしてくれると思っている。「お店の人が,買ったときと同じような状態ですって言いよった。」言われんでもわかっとるわい…。根性さえあれば,そんなに嫌な作業ではないのだが…今日はイライラした。思うように作業が進まない。もうちょっとメモリの容量が大きければなぁ…。でも金がかかるしなぁ…。今日のところはウィルス対策ソフトの設定まで。なにしろ,WindowsXPのアップデートに時間がかかりすぎ…。明日のために私は寝ないといけない。「親父よ。許せ。」
2008/11/16
やっと,今週が終わった。長かったなぁ…。きっと,先週末が1日しか休めなかったことと,月曜日の緊張した授業があったからだろう。とにかく,乗り越えることができてよかった。今日は帰りがけに床屋に行ってきた。昔行っていた同世代の床屋さん。何年ぶりかなぁ…。8年ぶり??ここのご主人は私が休職しているのを知っている。たまたま,会ったことがあるから…。「どうも,お久しぶりです。」「あぁ,こんにちは。」「スペースワールドでお会いしてから,もう2年以上になりますね。」長崎から遠く離れた北九州のスペースワールドで,バッタリ出会ったのだ。両家の家族が全員そろっていた。私が休みに入る直前の夏休みの終わりの頃だった。そうそう,ちょうど月曜日だった…。「う~ん,なるなる。でも,そのあと一回来てもらったから…。」あれ?スペースワールドのあと,来たっけ??全然記憶がない…。もともと,ここの床屋さんは近くに住んでいたときによく切ってもらっていたお店だ。お互いの子どもたちも同じ保育園だった。「その後,いかがですか?」「まだ,正式に復帰はしてないんですが,復帰に向けて学校に行ってます。」「よかったですね。体調はいいんですか?」「ボチボチですね。」「私もね,今一つなんですよ。めまいやら頭痛やら…。ひどいときは店を開けられないときもあってですね…。」 驚いた。お互い,そういうトシになったということかな…。 髪を切ってもらいながら,いろいろな話をした。共通の知人も結構いるので,あまり話には事欠かなかった。会話の中で,自営業のつらさみたいなものも垣間見れた。「私なんかは,こうしていつも狭いところで仕事してるでしょ。だから,たまには外に出て気分転換せんばとばってんですね。一週間ぐらい休んで,旅行するとか…。わかっちゃおるけど,そういうこともなかなかできんけんですね。」 多かれ少なかれ,誰にでも悩みはある…。 当たり前のことだけど,改めて感じた。 「苦しいのは,オレだけじゃない…。」「また,機会があったら寄ってくださいね。お待ちしてます。」「はい。奥様にもよろしくお伝えください。」明日,明後日はゆっくり休もう。でも,今夜はA子は飲みに行っている。いつ帰ってくることやら…。
2008/11/14
いつも同じような内容で,つまらない…。仕事にはずいぶん慣れてきたように思う。生活のサイクルも決まってきた。…で,ブログの更新は不規則になった。いまも,一眠りしたあと,目が覚めて書くことに…。疲れを翌日に残さない。今の最大かつ最低の課題だ。克服できつつあるように思う。また,明日…。行くしかない。
2008/11/11
一昨日,アメリカ人の友達からメールが来た。Have U returned to work? Good luck!I will start a new job in Hiroshima next week. Unfortunately I do not have time to say goodbye to U in person.I have enjoyed knowing U. Please stay in touch.突然のことに驚いた。Hello, ○○.I am surprised at your sudden report. I understood you move to Hiroshima. I was taught a lot of things from you. I will miss you.I am wishing that you spend happy days with a new friends in Hiroshima. See you next time.JIRO会ったときにはほとんど日本語で話すが,メールはいつも英語である。でも,なかなか書けない私はインターネットの翻訳辞書に頼ってしまうため,どうしてもちょっと変な文章になる。それでも,彼は理解してくれる。それにしても,送別会もできない。年に3~4回は一緒に飲んでいたから,お別れの会もなく彼が去っていくのは寂しい。2人きりで飲んだのも一度や二度のことではない。アメリカ人だが,世界各国を転々とし,北京から長崎へALT(Assistant Language Teacher外国人語学指導助手)としてやってきた。そして,長崎の中学校で彼と出会った。彼は私のことを「strange teacher」とか「funny teacher」とか言った。出会ったときに彼が開いてくれた Welcome Party で彼が私をからかったのだが,その反応が面白かったらしい。私は酔ってしまったので,よく覚えていないのだが…。もう,それから8年が過ぎた。この間に,彼や彼の友人達と飲んだり話したりする中で,彼の世界観,人生観といったものをいろいろと感じ取ってきた。それが,私にとっての外国の様子を知るごく少ない機会でもあった。そう,彼はまさしく私にとっての「出島」だった。彼はALTの契約終了後も,英会話教室の先生や家庭教師などいろいろな仕事をしながら長崎にとどまっていた。今回の突然の引っ越しは寝耳に水だった。英語の堪能な元同僚に知らせて連絡を取ってもらったが,やはり送別会は無理らしい。照れくさいのもあるのだろうか。被爆地ナガサキからもう一つの被爆地ヒロシマへと移っていくのにも,何かしらの理由があるのかもしれない。彼の今後の人生の幸せを願って,送り出すしかない。今までありがとう。そして,Please stay in touch.
2008/11/03
今日は,朝の目覚めからお疲れ気味だった。A子には,「今日は休んだ方がいいんじゃない?」と言われたが,「休んだほうが,あとがきつくなるやろ。」と言って,私は出勤した。職場では普通だった。やはり,気が張っているのだろう。今日は病院の日でもあった。一旦帰宅後,A子と二人で出かけた。主治医も,A子も,私の様子にひとまず安心しているようだった。でも,疲れた一日だったことは間違いない。とっとと寝よう。
2008/10/29
いよいよ3週目突入。7時間。標準の勤務時間まであと1時間。まぁ,立場は12月までは休職者なので,休みたいときはいつでも休める。勤務時間内であっても,場所を見つけて横になっていてもどうこう言われることはない。ただ,幸か不幸か,そうしたくないという心理は働く。明日は初授業だ。特別これといった準備もしていないが…どうかな。緊張…するでしょうね。これまでの2週間で慣れたような,そうでもないような…。さあて,明日は管理職も見に来るかな??それにしても,朝が早いのが辛い。早寝早起きは何とやら…。でも,あと1時間遅く帰ってくると,当然寝るのも遅くなる。朝が心配…。杞憂に終わるといいが…。
2008/10/27
今日は9時過ぎに起きた。「お父ちゃんもご飯食べんね?」とのA子の声。「う~ん。」と答え,階下へと降りていく。「やっぱり,夜の碁会に行くとペースが狂うんじゃない?」A子に言われた。確かにそうかもしれない。朝食を摂りながら,毎週録画している「探偵!ナイトスクープ」を見る。もう20年近く,まだ独身だったときからよく見ている番組だ。DVDも買った。ただ,秘書が松原千明だった頃を私は知らない。だから,きっと初期の頃を私は見てないのだ。感動モノあり,爆笑モノあり…この番組を見ているとつくづく「平和だなぁ。」と感じるのである。私の影響で,家族全員が見るようになった。もう一本ビデオを見て,寝室に戻ってきた。さて,久しぶりにNHKの囲碁トーナメントでも見ますか…。明日に疲れを残さないために,今日はぐうたら生活を送る。
2008/10/26
今週は長く感じた。きっと,来週はもっと長く感じるのだろう。今週は1日5時間,授業はTT(チーム・ティーチング)のみだった。まぁ,私の場合まだ立場は休職中なので,一人で授業することはまずあり得ない。自分がメインでやるとしても,必ずほかの職員がサポートにつくことになる。正直,授業を見られることは多少の緊張を伴うが,誰に見られても構わない授業を堂々とやるのが教員の仕事である。私はまだ,そこまでの度胸は回復してないのだが…。でも,やるしかない。来週からは1日7時間,数時間の授業実践となる。考えただけで疲れる…。ふぅ…。こういうことで精神的疲労を感じている間は,きっと完全に治癒することはできないのだろう。「平気」になって初めて本物である。私は,投薬治療がなくなることを目標としている。だから,その「平気」を目指さなければならない。まだまだ,道のりは長い。ゴールは…まったく見えない。まずは,明日の囲碁教室を楽しむことにしよう。
2008/10/24
今日も疲れて帰って来た。先週と比べると,倍の時間,職場にいることになる。さすがに疲れた。でも,幸か不幸か,職場ではあまり疲れを感じない。気が張っているのだろうか。きつかったなと感じるのは,家についてからなのである。これも訓練の成果なのか。体が慣れてきているのか…。今日は昼休みがあったので,生徒達の五目並べを見てきた。私のレベルよりも低かった…。将棋をやっている子もいたが,こちらはなかなか強い子もいるようだ。私は将棋はあまりやらないが,挑戦してみるかな…。勝負事が好きなモノで…。明日はどういう思いで帰ってくるか。まずは今日の疲れを十分にとっておきたい。
2008/10/20
いよいよ始まった。今週は短く1日2時間半。日誌を書いて終了。職場の環境に慣れる。行ってみて思ったほどの不安は感じなかったし,普通にほかの人々と接することができた。同僚に対しての挨拶も少し言葉が少なかったかなと思ったものの,一応できた。まずは合格点だと思う。しかし,帰って来てから震えが来た。動悸もした。どうも「その場」よりも,「その場」を離れてから不安が襲ってくるようだ。いいことなのか悪いことなのか,よくわからない。もう一つ,どうしようもなく困るのが睡魔だ。車の運転中も少々眠くなる。薬の影響が残っている状態で運転しないといけないらしい。明日,病院にかかるので主治医にもう一度相談してみないといけない。午後,しばらく寝た。これからは,こんなこともできなくなる。やっぱり,不安は尽きない。
2008/10/14
今日は朝から何もやる気ナシ。昨夜寝るのが遅かったこともあって,朝起きることができなかった。洗濯物をベランダに出しに来た次女に鍵をかけて学校に行くように頼み,もう一眠り。9時過ぎに起きだして,テレビをつける。衛星放送で第33期囲碁名人戦第4局張栩名人対井山裕太八段の2日目の模様を見る。名人の封じ手は予想通り12の六アテ。今回の封じ手はアマチュアでもわかりやすかった。次の挑戦者の手もノビる以外ないので,名人は昨夜その次の一手を練っていたのではなかろうか。衛星放送での中継が終わると,インターネットに切り替えて観戦を続ける。しかし,なかなか着手は進まないので,GyaOで映画を見ながら観戦することにした。映画もたまに見てみると面白い。そんなに有名な作品ではなかったが,楽しめた。映画を2本見終わったところで,朝食も摂らず,薬も飲んでないことに気づいた。2時半を過ぎて朝食。朝食って言えるのかなぁ?こんな生活ができるのもあと数日。薬を飲んで,食洗機を回し,寝室に戻る。名人戦を見ながら,しだいに陽が傾いていく。そろそろ形勢が固まってきた。地で先行した名人が逃げ切りそうだ…。本当かな?でもまぁ,自分にはそう見えるのだから仕方がない。黒にコミがとても重くのしかかっているように見える。弱冠19歳の井山裕太挑戦者の粘りを見せてもらおう。
2008/10/09
復職訓練開始まで,あと一週間。さて,どう過ごそうか。やはり,病気のせいなのか,はたまた単純に開いたブランクのせいなのか。出勤する日が近づくと,それだけ緊張感が高まってくる。復職訓練が始まっても,12月までは休職扱いである。諸手当はまったく出ない。だから,短期での訓練を希望したのだが。休んだら記録は残るそうだが,有給休暇を取る必要もない。なんだかなぁ…。今日もネット碁は負けた。やっぱり,弱いんだよな。私の場合,囲碁の強さは病気の状況を知るバロメータのようなモノだ。A子は昨日の私の3位入賞に,「調子いいんじゃないの?」と言っていたが,やはりそうでもないのだろう。日曜日の県大会は楽しめるかなぁ。気分良く復職訓練に入りたいモノだが…。この先の結果は神のみぞ知る…だ。
2008/10/06
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昨日の夕方,上司から電話があった。「お休みのところすみません。」「いいえ,お世話になります。」「確認を頼まれてた復職訓練の期間のことですが…。」「はい。」「市教委を通じて確認してもらったんですけど,先生の言われるとおり,復帰するまで復職訓練を続けるというのが正しいようです。」「ということは,最低6週間とか言うことはないわけですね。」「そういうことになりますね。すみません。」「いいえ,これは県教委が出している文書が悪いんですから。やっぱり騙された気分になりますね。」「そのまま通い続けてもらうのであれば,復職訓練のスタートを少し遅らせてもいいかなと思っているんですよ。とは言っても,一週間ぐらいのものですが…。」「じゃ,最低でも2ヶ月とちょっとと言うことですね。」「そうです。」別にこの上司が悪いわけではない。文書でははっきりと復職訓練の期間を「最短6週間最長2ヶ月」と書いてある。で,休職中に行うものだから諸手当がつかない。片道50kmを通うだけでも経済的に苦しくなるので,私は最低期間での実施を希望していた。本当に騙された気分だ。最低期間を希望して2ヶ月ちょっとになるのであれば,「最短9週間最長3ヶ月」とでも書いておけばいい。もともと,前職の上司に騙されたという思いが強いまま休職しているのに,ここに来てまたこれか,という感じだ。文書は誤解を招かないように正確に書け!公文書だろうが!これだけで,気持ちが萎えた…。やる気がなくなる…。上司との電話が終わってしばらくして,私の携帯が鳴ってすぐに切れた。誰だ?と思って見てみると,教員になって初めて担任した生徒。もう,30代になっているが…。何だろうと思い,こちらからかけてみることにした。「はい。…先生?」出る前に相手がわかる時代になった。便利だねぇ。「そう。」「どうしたんですか?」「どうしたって,そっちからかかってきたから何だろうと思ってかけ直したんだよ。」「娘だ。」「えっ,子どもができたんだ。」「10ヶ月。」「へぇ,○○もお母さんになったんだ。」「そうですよ。携帯を娘のそばに置いてたから,ボタンを押しちゃったみたい。すみません。」「いや,別にいいよ。」「先生は元気ですか?」「う~ん,ボチボチかな。」「ボチボチですか?あんまり元気ないですね。」「そうでもないさ。」と言いつつ,やっぱり声に張りがないのかなと思ってみたりする。「○○は結婚して,名字は何になったとやったっけ?」「◎◎です。」「そうか。元の名字と似とるたい。で,どこに住んどっとやったっけ?」「△△です。先生は□□の家の近所でしたね。」「そうだよ。」「やっぱり先生,元気ないですよ。」「そうかな…。」休職しているとも言いづらい…。四方山話でごまかして,電話を切った。今日は昼過ぎに相次いで業者が来た。宅配便,生協,貸しモップの交換…。30分ぐらいの間に次から次に来た。その都度,印鑑を出したり,冷蔵庫に物を片付けたり,モップを付け替えたり…。ピンポーン…と鳴ると,「今度は誰だ…?」という感じだ。しばらくすると,ガシャガシャと玄関を開けようとする音。こんなに早く帰ってくるヤツがいたっけ?泥棒?実際に数年前に入られたことがある。そろーっと階下へ降りていくと,パン,パン,と鍵を開ける音がして,長女が入ってきた。「お帰り。何でこげん早かとか。」「だって,テストやもん。」「あ~,そうやったな。」何回も一階と二階を行き来すると,それだけで疲労感が漂う。もしかすると,一昨日の運動会の疲れかもしれないが…。しばらく,休もう。
2008/09/30
新しい週が始まった。今日は三女が運動会の代休で家にいる。さて,どういう風に過ごそうか。朝,私はいつもより早く目覚めた。相変わらず,よく変な夢を見る。そわそわして,眠っていられない。朝食を用意しているA子に夢の話をした。「実際にあり得ないことだから夢なんだよ。」と,なんだか哲学的な応対。居間のテーブルに突っ伏して,ウトウトとしている間に朝食ができあがる。「朝ご飯よ。起きておいで。」A子が子どもたちを呼ぶ。今日,いつものように学校がある長女と次女は起きてきたが,三女は眠ったままだった。「疲れとるとやろう。」三女は放って置いて,朝食を摂る。3人が家を出るのを見送って,寝室に戻る。やはり眠い…。三女は9時頃になって起きてきた。「もう,みんな行ったよ。」とだけ声をかけておいた。二度寝をした私は,昼過ぎに再び起きた。三女はアニメを見ていた。-時をかける少女-アニメの「時をかける少女」はいい出来だと思う。私は原田知世の「時をかける少女」の世代なので,多少の違和感は否めないが。「もう昼は食べたとか。」「うん,食べたよ。お母さんがうどんを温めて食べなさいって書いとったもん。」私もアニメを見るのに付き合った。終わって,テレビのチャンネルをあれこれと変える三女。「面白そうなとのなか…。」「そういうときは碁でも打つか。」「え~…。」雨なので,友達と遊びに行く気にもならないらしい。「わかった。1局だけね。」19路盤で星目。碁にならないのは,わかってる。でも,これを続けていかないと強くはならない。「お前は何級って言われとっとか。」「14級。」娘は,「あぁ,どうしたらいいかわからん…。」とか,「死んでしもうた。」とか言いながら,何とか最後まで打った。4つの石を生きることができたが,並べるまでもなく大差で白の勝ちだった。「お前は石ばくっつけすぎるとさ。」「おじいちゃんにもそげん言われた。」今日は,序盤で出てきたツケノビ定石とツケオサエ定石を確認した。要領がつかめるといいのだが…。やっぱり時間がかかるだろうな。今日は1局打ったということで,一歩前進としておこう。
2008/09/29
今日は三女の小学校の運動会だった。三女ももう6年生。プログラムの「来年は一年生」に出たのはもう6年前ということになる。あの頃は仕事が忙しかったが,環境に恵まれ充実してた…。時の過ぎるのは早い。6年生には親子競技がある。A子はPTA種目に出ることになっていたので,親子競技には私が参加することにした。運動なんて久しくしていない。散歩すらしていない。ケガをしないように,ただそれだけを気をつけ入念にストレッチをした。親子で手をつないでスタートするとしばらくしてカードが置いてあり,それに書いてあることを親子でやってゴールを目指す。そのカードの内容とは,1.そのまま手をつないでゴールまで走る。2.二人三脚をする。3.ボールを二人の体の間に挟んで走る。4.フラフープの中に二人で入って走る。5.サッカーボールを交互にドリブルしながら走る。もちろん,そのまま走っていくのが最も速い。三女は,「これは得点種目だから,手をつないで走るだけがいい。」と言う。私は,「せっかくだから,何もせんのは面白くない。フラフープぐらいがいいな。」と言った。「カードは私が取るけんね。」「いいよ。」男子の親子の方が先だったので,様子を見ていると,やはり1がいつも一番。次が4か5。2の二人三脚が最下位。カードしだいで順位は決まっていた。いよいよ,スタートラインに立った。パン!合図とともに突撃!娘がカードを取り見てみると当たりの4!!道具を並べてあるところにたどり着いた時点では一番だった。フラフープと拾うために減速したので,1の親子に抜かれてしまった。それでも,ゴールするまでには少し距離を縮めた。…2位。足だけなら,一番だったかも…。娘も私もリレーの選手になるほどではないが,まあまあ速いほうだ。娘は少々残念だったようだった。そのあとも短距離走(やはり,走るだけなら一番だった…。),組体操,表現競技,応援合戦と娘もがんばっていた。この小学校でも,次女の中学校と同じく特別支援の子どもたちがいる。その子たちも,それほど極端に特別扱いされることなく,自然な形で参加していた。この小学校に来るのも,もう今年で最後になる。長女が入学するとき,我が家は転居した。長女をどこの小学校に入れるか,まったく迷いはなかった。町内で最も小さい,各学年2クラスのこの小学校に入れたいと思っていた。隣の小学校は,県内一大きな小学校である。やはり小さい学校のほうが先生たちの目が行き届く。私はそう思っている。そして,長女が入ってから三女が卒業する今年まで10年間,3人の娘たちをこの学校に通わせて良かったと思っている。競技にも参加して,ビデオ撮影,車,バイクの入れ替え等(自家用車の駐車には制限がある),なんやかんやで,会場撤去作業の手伝いは避けさせていただいたものの,それでもいつにない疲労感が残っている。家に帰ってからはビデオのダビング作業をかねて,見に行かなかった長女とともにビデオ鑑賞会。楽しい一日だった。明日は,三女と二人で家にいるのかな?
2008/09/28
春の海終日のたりのたり哉 蕪村いまは春ではないが,ひたすら寝て起きて,時間を無駄に過ごしているような気がする。こんなんでいいのだろうか。このまま進むと,2週間後には復職訓練に入る。A子,上司や主治医とも相談した上での話であるが。来週の水曜日に病院でその話し合いをすることになる。今日は復職訓練に入っている夢を見た。それも,あまり順調にいってない様子だった。ちょっと気が重くなる。さて,どうやって気分転換するかなぁ。復職訓練に入ったら,もっと気分転換の方法を考えておかないといけないだろう。とりあえず,今日をどう過ごそうか。このモヤモヤを取り払いたい。
2008/09/24
今日の未明,雨が降った。結構強い降り方だったので,A子が窓を閉めて回っていた。体育大会は昨日の実施で正解だった。今日は秋分の日。「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日だそうである。天文学的な意味合いよりも,彼岸の中日としての意味合いのほうが強いらしい。我が家も午前中に墓参りに行ってきた。母方の墓だが…。先祖に感謝し,墓をきれいに清めお参りする。これを家族でやっていかないと,心がすさんでいくような気がする。いつも参っている墓には,母方の祖父と叔母の2人が眠っている。生前にこんなことを書くのはちょっと失礼だが,今後この墓には,祖母や伯父夫婦が入ることになる。我が家は同じ墓地の一角に土地を確保している。父か母が死んでから,墓を建立することになるだろう。そこには,私の両親と私とA子の4人だけが入る予定である。うちの3人娘はみんな嫁に出してしまうことになるだろうから,ゆくゆくは4人で無縁仏になるのだろう。自分が直接知らない子孫にまで参ってもらわなくてもいいと,私は思っている。死は眠りに過ぎぬ…とも聞く。仏教では,輪廻転生という考え方もある。年を重ねるとともに,死について考える機会も多くなった。日本の平均寿命から言えば,そろそろ人生の折り返し点だ。残りの半生をどう生きるか。いろいろと考えさせられる。
2008/09/23
今日の長崎は快晴。昨日延期になった次女の中学校の体育大会が実施された。娘の出番は4回。150m走,ダンス,学級対抗全員リレー,ムカデ競争。うちの子は体育が特別得意というわけではないが,不得意というわけでもない。どれも,楽しそうに参加していた。150m走2位,学級対抗全員リレー1位,ムカデ競争1位。ダンスもニコニコ笑いながら踊っていた。本人も納得の内容だったのではないだろうか。この中学校には特別支援の子も何人かいるが,そういう子たちにも他の生徒たちが気を配って,競技への参加を手伝っている様子も伝わってきた。そうかと思えば,競技前には輪を作って気合いを入れたり,競技を終了して退場した後に三三七拍子をするなどして,それぞれに健闘をたたえ合う姿も見られた。いい体育大会だった。我が母校ながら,この中学校に娘たちを通わせて良かったと思った。自分たちの時代は,全国的に校内暴力が吹き荒れた時期。在学中には新聞沙汰の事件もあった。いまも校舎のあちらこちらに当時の痕跡が残されている。遠い昔の話だ…。体育大会が終わってしまえば,いよいよ受験モードに入っていく。来週には高校説明会も開催される。塾の県下一斉テストで,第一志望の長女が通う高校(これまた我が母校であるが…)B判定。第二志望以下はすべてA判定。気をよくして,第一志望校を目指し,さらにがんばってくれることであろう。深まりゆく秋…。私にとっては…???
2008/09/22
今日は次女の中学校の体育祭の予定だった。ところが,長崎は今日も雨だった…?朝から大雨。PTA学級役員として駐車場係を請け負っていたA子は,4時に起きて弁当を作り,早めに出動できるようにと準備を整えていた。そうこうしているとしだいに雨が強くなり,延期の町内放送。次女の話では,「また,明日も朝から弁当ば作らんば…。」と,かなり精神的ダメージを受けた様子だったという。私は一度起きだして,体育祭の延期を確認したあと、また寝た。「どうも,まだ薬の残っとるごた。」睡魔がいかんともしがたかった。結局,ちゃんと起きたのは正午近く。朝昼兼用で弁当を食べた。疲れた体で三女のバスケットボールの試合の応援に行ったA子は,きっとさらに疲れて帰ってくる。洗い物だけでもしておこう…。午前中に雨は上がったようだ。明日はちゃんと実施されるのかな?保護者のことを考えれば、明後日(秋分の日)の方がいいのかもしれないが…。天気だけはいつの世も神頼みですねぇ。
2008/09/21
昨日からの疲れがとれない。朝から,ずっと寝ている。睡眠導入剤の力を借りて眠っているが,朝がなかなか起きることができなくて困る。別に起きてやりたいことがあるわけでもないが…。今日は病院の日。復職についても相談するだろう。書類にも目を通したが,いや~な気分になる。きつい。眠い。動く気がしない。病気の治りは後退しているのか?
2008/09/17
今日は朝から出かけた。目的は…なはは。わかる人にはわかる。わからない人にはわからない。そうそう,私がこそこそやっている、アレです。今日はよい一日だったのか,悪い一日だったのかよくわからない。午後3時頃に帰って来たが,気疲れしてしまった。自分の期待した結果が得られなかったからだ。明日でもよかったんだけど,明日は病院の日だから時間が気になったんだよね。もう1回きちんと練習して,明日行くべきだったかなぁ…。それから,しばらく昼寝をしていた。夕方になって家族が続々と帰ってきた。今日も一日が終わる。
2008/09/16
今日は「中秋の名月」だそうだ。残念ながら、長崎は曇り空。名月は拝めそうにない。そして,今日は長女の高校の文化祭。クラスでハンドベルの発表をすると言っていた。A子と娘たちは見に行ったらしい…。らしい…というのは,私が誰よりも早く朝から出かけてしまったわけで…。ミッション遂行中…。復職に向けての練習も兼ねた長距離運転もずいぶん楽になった。さて,あとは上司にどう切り出してレールに乗るかの問題だ。一度レールに乗ってみてまたすぐに降りてしまうようでは,乗らないまま休職しておいた方がいいと言ったのは主治医だ。「慎重に判断してください。」と。でも,いくら待っても自分から進んで行きたいと思うようにはならないだろうと思う。「場所」「人」「仕事内容」…それぞれのものに対する抵抗感がスッキリぬぐい去れる日はたぶん来ない。ある程度の抵抗を抱えたまま,復職するしかないのだ。もしもそれでダメだったら…?職を替えるしかないでしょう。長い人生,終身雇用も過去の物となりつつある時代,一度や二度の転職も悪くはないさ。いろんな仕事を経験して,これが一番自分に合っていたなと振り返ってみるような人生でもいいさ。若いときに決めたたった一つの仕事に固執することもない。後悔することもあるかもしれないけれど…。名月を拝める日もあれば,拝めない日もある。チャンスをつかめるか、つかめないか。ときには運もある。良くも悪くも一度きりの人生なんだなぁ。この頃,よくそう思う。
2008/09/14
しばらく休んでいた親父のPCの復旧作業を再開した。うまくいかなかったのは,WindowsXPのService Pack 2のインストールだった。インターネットからインストールしようとするとPCがフリーズしてしまう。ウィルスかもしれないと思い,先にウィルスバスター2008を入れようとすると,「Windowsをアップデートしてください」とのメッセージが出てインストールストップ…。どうにもならんということで,メーカーのサポートに電話してみると,マイクロソフトからWinXPSP2のCD-ROMを買って,クリーンインストールするといいだろうとのこと。早速注文。やっと今日届いて,作業再開となった。届いたCD-ROMからWinXPSP2を入れ,その後VB2008をインストール!うまくいった…。なんじゃい。インターネットからでは,WinXPSP2は,もううまく再インストールはできんということかい。たったこれだけのことに数日の時間と金を少々。ちょっと悔しい。親父が使わないソフトはアンインストール。別の使いそうなソフトを入れていく。その作業がチマチマと続く。遊びの類がほとんど。メールチェックもまったくしないけど,使えるようにだけはしておかないとね。OfficeXPも入っているが,親父には使えない。使う気もない。親父にとってPCは,インターネット囲碁とゲームを少々使うくらいのもの。とにかく出かけないで、いつでも何局でも打てるというのが親父の喜び。ちょっと高価なおもちゃだ。だから不具合が出ると,もう手も足も出ない。「どんな操作をしてこうなった?」と聞いても,「知らん。普通に使いよったら,画面の変になった。」これでは,対処のしようがない。いろいろ想像して,操作してみたがうまくいかず,再セットアップすることになって…。う~ん,再セットアップって,何度やってもイライラするなぁ。やってしまえば,そのあとの使い勝手はいいんだけどね。それにしても,親父のPCは,盆にディスクのクリーンアップしてデフラグまでかけておいたのに,いったい何が起こったっちゅうねん…。とにかく,HDDのアクセスランプが点滅しているときにはそっとしておいてね。HDDがやられると,復活させるのにお金もたんまりとかかっちゃうからね。大したことに使ってないんだから,優しく扱ってやって。オレのPCは相当酷使して,再セットアップも何度もしてるけど,快調だよ。メンテナンスはできる範囲でやるからさ,やさしく,やさしく…ヨロシク。
2008/09/11
大型2種の教習をしてくれる教習所に行ってきた。厳密に言えば2回目。3年前に1時間だけ教習を受けた。実際に日常生活を送る上では大型車を運転する機会は全くない。免許を取得するときに何度も乗ったのと,あとは3年前の1回。正直言って,図体のでかい車に乗ること自体少々緊張する。隣に教官が乗っているとはいえ…ビビるやんけ。教官は慣れたものである。命綱のブレーキペダルに足を置いている。「ちょっと,コースの外周を走ってみましょうか。」ウォーっ,左折だぁ,右折だぁ,確認だぁ…。ギヤチェンジする余裕もない。それでも一応大型免許は持っているので,教官は平然と言った。「それじゃ,路上に出てみましょう。」実際の路上で大型車を運転するのは5年ぶり。ヒョッホッホォ。教官の指示通りに動かすのだが,何と言ってもギヤがすんなり入ってくれない。ときには教官から,「ギヤ,入ってませんよ。」とか,「焦りすぎですよ。」とか,言われながらなんとか1時間乗ってきた。左折でハンドルを切りすぎることと,V字通行での要点を指摘された。「う~ん,まずは,このバスに慣れてもらわんといけんなぁ。」止まってから,ギヤシフトの操作をするとちゃんと入る。「まだ,肩に力が入りすぎてるんですよ。」家に帰りながら,周囲確認の練習をする。普通車では大きさが違いすぎるが,左折時の後輪の位置確認もしてみた。そんなに難しくないじゃん…。もう少し,落ち着いて乗れるようになろう。家に帰ってきて,少し落ち着いた。車で移動しまくるのも,復職訓練に向けてのことである。昨日,80km走って,少々疲れた。今日は昨日の疲れを残したまま,路上教習+80km走った。実際に職場に通うようになったときは片道50km+精神的ストレス。やっぱり相当疲れそうだ…。いまから,寝る。
2008/09/05
今朝,6時過ぎに起きてほかの家族を一緒に朝食を摂り,それから11時まで二度寝した。今日から2学期開始。我が家の女ども全員,それぞれの学校へと出て行った。また,平穏な日常が帰って来た。ただし,今回は復職訓練をどうするか,きちんと考えていかなければならない時間である。真剣に考えると,なかなか寝付けない。困ったものだ。昨日,A子は三女と姑である私の母を連れて,卓球をしに行った。もともと三女と私と3人で行こうと思っていたらしいが,私が抜けたのと,三女が母に言ったところ,母が「行く,行く。」と飛びついてきたらしい。母の卓球好きは以前から知っていたが,本気で行くとは思わなかった。帰って来たあと母は,「A子ちゃんが一番うまかった。」と言ったが,かなり悔しかったと思う。「ボールがぼやけて,よう見えんやった。空振りばっかりしてしもうた。」と言っていた。自分の思いと,それについて行かない体とのギャップを感じたことだろう。三女はというと,変なところにばかり打ってしまって,相手をしたA子や母はもっぱら球拾いばっかりだったらしい。それでも終わる頃には結構うまくなっていたとA子は言うが…。夏休み最後の日,A子は疲れてダウンした。今日は元気に「先生」をしているのだろうか?相手は小学校一年生。さぞかし疲れて帰ってくることだろう。
2008/09/01
今日もいつもの囲碁教室。三女を連れて出かける。三女はやっぱり負けると悔しいらしい。でも,家ではまったく練習しない。強くなるわけがない。「1日1局でもお父ちゃんと打てば,すぐに強くなるのに。」と言うと,いつも三女は黙ってしまう。強くなりたいけど,お父ちゃんと打っても面白くない…。そんなところだろう。どうしようもないな…。やっぱりもっと早くから始めるべきだった。でも,一応やっているからいいか。囲碁教室では,前半は子どもたちが打っている碁を見て回って,要点の部分だけ指導をした。後半は,小学6年生三段格くんと対局した。持ち時間各30分。向こう先逆コミ20目。おとなしく打ったが,地合でリード。これは20目は十分出てるな…と思いながら打ち進める。敵もこのままではまずいと思ったのだろう。白石を分断し,殺しを狙ってきた。その頃から,講師陣のギャラリーが増えてきた。この対局が遅く始まった分,ほかの対局が早く終わったのだ。ギャラリーの中にはこの6年生くんの父親も,うちの親父もいた。狙われた白石の目作りと黒陣へのなだれ込みを見合いにしたら,敵は目を取るほうを選び本気で殺しに来た。この時点でうちの親父は白の大石が死んだと思ったらしい。甘いな…。ならばと,黒陣へなだれ込む。黒陣はすっかり小さくなり,1眼作るのがやっと。白も1眼,黒も1眼。間のダメはいっぱい…。つまり,セキ(地のない生き)である。結局,黒地がなくなった分だけ白が得をした。ここで,6年生くんの時間がなくなった。彼のお父さんが小さな声で「切れた。」と言った。でももう,終局目前だったのでダメを詰めて勘定することになった。40数目差,白勝ち。ギャラリー陣からは,「白地が大きかったねぇ。」「やっぱり足りんやったか。」「でも,西川先生相手に先番でよう打ったたい。」など,いろいろな声があがった。私は,「この石を殺しに来たね。よかった。仕留めることができれば大逆転だよね。結果的にはセキになって差は開いちゃったけど,そのまま負けてしまうよりも,一か八か勝負を賭けるのは大事なことだからね。」と言った。この子は強くなる。来年は,エースくんも高校生になる。彼に替わって,中学生の県代表を狙えるようになってほしい。昼から,また三女を連れて今度は歯医者に行った。月に一度のメンテナンス(歯垢歯石除去)だ。「西川さん…。」呼んでいる衛生士が笑ってる。教え子だ。彼女が中学校3年生のときに1年間だけ赴任した学校でたまたま担任した。おとなしくて素直な子だった。もう,9年も前の話だ。それが,この歯科で会うようになり,もう,何度も続けて私の担当をしている。「たまたまだよね?」「ホントに偶然なんですよ。よく当たりますねぇ。」と,向こうも笑っている。A子は,「あたしやったら,教え子からされると嫌だぁ。」と言っていたが,私はそれほど抵抗はない。あ~んとして,20数分間掃除をしてもらった。最後に先生に診てもらっておしまい。彼女に声をかけようかと思ったが,もう次の患者に取りかかっていた…。教え子かぁ…。病気のイライラがひどかったとき,A子に言った。「もう,教員なんかに戻らんでいい。いままでの教え子たちだけで十分だ。あんな学校に戻らんでいい。ほかの仕事を探す…。」教え子に会うと単純にうれしいんだよね。でも,この休んでた2年間に教え子が2人亡くなった。一人は突然死の恐ろしさを,もう一人は余命を知った上での生き方を,身をもって教えてくれた。2人ともカトリックだったから,これが信仰の力なんだろうかとも思った…。教え子かぁ。もう少し,増やしてみてもいいかなぁ…。
2008/08/30
いつもは夜10時くらいから襲ってくる睡魔が,昨夜は全然襲ってこなかった。ついでに腹が痛くなって,何度もトイレに行った。悪いものを食べた記憶もない。ほかの家族も何ともない。なんで??結局,何時に寝たのだろう。寝ようと思って床についたが,まったく眠れず,時間つぶしにPCの電源を入れた。ブログの更新が2時前になっているから,そのあとには違いない。PCの電源を切って,そのあとは程なくして寝たのだろうと思う。眠りに入る直前の記憶がない。時間がかかったものの,薬は一応効いたわけだ…。朝目が覚めると,すでに10時半過ぎ。A子は当然いない。長女は学校,受験生の次女は塾。今日はなぜか三女がいた。いつもは私の実家に行っているのに。以前録画した「9・11」のドラマを見ている。あの,ワールドトレードセンタービルの同時多発テロだ。「おぉ,今日は何でおるとか。」「友達と遊んでからバスケットに行くからね。」「ふ~ん。」「爆睡しとったとによう起きてきたね。」・・・・・別に,オレは死んでるわけじゃない。今日は,車の修理と,税控除の手続きに行くんだった。中途半端な時間になっちゃったな…。朝昼兼用でご飯を食べて,娘に付き合って昼ドラ見て,それから行動開始するか…。それでも十分に間に合うでしょう。ちょっと,現実逃避している気分…。復職訓練ねぇ…。いつからにするかなぁ…。嫌なことは早く済ませる主義だ。食事も嫌いなものから食べる…。でも大丈夫かなぁ…。心の準備をしておかないとね。
2008/08/28