「出島」の引っ越し
一昨日,アメリカ人の友達からメールが来た。Have U returned to work? Good luck!I will start a new job in Hiroshima next week. Unfortunately I do not have time to say goodbye to U in person.I have enjoyed knowing U. Please stay in touch.突然のことに驚いた。Hello, ○○.I am surprised at your sudden report. I understood you move to Hiroshima. I was taught a lot of things from you. I will miss you.I am wishing that you spend happy days with a new friends in Hiroshima. See you next time.JIRO会ったときにはほとんど日本語で話すが,メールはいつも英語である。でも,なかなか書けない私はインターネットの翻訳辞書に頼ってしまうため,どうしてもちょっと変な文章になる。それでも,彼は理解してくれる。それにしても,送別会もできない。年に3~4回は一緒に飲んでいたから,お別れの会もなく彼が去っていくのは寂しい。2人きりで飲んだのも一度や二度のことではない。アメリカ人だが,世界各国を転々とし,北京から長崎へALT(Assistant Language Teacher外国人語学指導助手)としてやってきた。そして,長崎の中学校で彼と出会った。彼は私のことを「strange teacher」とか「funny teacher」とか言った。出会ったときに彼が開いてくれた Welcome Party で彼が私をからかったのだが,その反応が面白かったらしい。私は酔ってしまったので,よく覚えていないのだが…。もう,それから8年が過ぎた。この間に,彼や彼の友人達と飲んだり話したりする中で,彼の世界観,人生観といったものをいろいろと感じ取ってきた。それが,私にとっての外国の様子を知るごく少ない機会でもあった。そう,彼はまさしく私にとっての「出島」だった。彼はALTの契約終了後も,英会話教室の先生や家庭教師などいろいろな仕事をしながら長崎にとどまっていた。今回の突然の引っ越しは寝耳に水だった。英語の堪能な元同僚に知らせて連絡を取ってもらったが,やはり送別会は無理らしい。照れくさいのもあるのだろうか。被爆地ナガサキからもう一つの被爆地ヒロシマへと移っていくのにも,何かしらの理由があるのかもしれない。彼の今後の人生の幸せを願って,送り出すしかない。今までありがとう。そして,Please stay in touch.