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カテゴリ:読書
「八百万の死にざま」(ローレンス・ブロック)を読みました。
読み終わってから知りましたが、探偵マット・スカダーのシリーズがいくつもあるらしい。ああ、また読みたいもんが増えてもた。 元刑事の私立探偵が、事件を追って解決する。その本題のストーリー自体は、特別驚くような展開ではありません。 といっても途中で目星がついてしまって退屈というのではなくて、むしろ変に奇をてらうことなく、現実とのバランスがよいという印象です。 その内容にはあまり触れない方がいいと思うので、主人公の人物像について描かれているところについて、書くことにします。 この小説の大きな特徴は、たんに探偵の活躍を描くミステリ小説であるだけでなく、アルコール依存症の人間の心理を細かく描いているところです。 つまり主人公がアル中なのです。 違法な麻薬の中毒になる人間はそれほど多くありませんが、アルコールとなると自覚しているかどうかの問題という面もあります。 特別な人物像ではなくて、ごく普通の人なのです。 何より興味深かったのは、依存症の主人公の心理描写です。 アルコールで破綻して間もない頃、禁酒を始めた時期、挫折、再び酒を断ちその日を一日ずつ重ねるとき、徐々に依存度を弱めだすとき、ふと訳もなく酒を飲んでしまいそうになり依存をはっきり自覚するとき。 それぞれの状況で少しずつ心境が変化していく様子が、興味深かったです。 たとえば、「禁酒→挫折」の部分を簡単に書くとこんなカンジ。 …8日続けた禁酒を破ってしまう。最初は1杯。 飲む前はその1杯が恐ろしかったけど、何だ大丈夫ではないか。自分は大丈夫なのだ。そしてもう少しだけ増やして。全然ダイジョブ。 よし、朝と夜に1杯ずつと決める。それが守れる。オッケー。 なんだ12時間開ければいつ飲んでも、自分の自由ではないか。 じゃ別に1日の量が増えなければ、何回飲んでもいいのだ。 そうだ、もう何日も量がコントロールできてる自分には、そもそも量の制限なんか不要だ!… 今偶然にも、母が中島らもの「今夜、すべてのバーで」を読んでいたので、この部分を話したら、 「それは、中島らもの頭の中とそっくりや」と言ってました。 きっと、アルコールへ依存する心が、同じような思考を生むようになるのでしょう。 この話の中のAAと同種の組織が日本にも地区ごとにあります。昔仕事をしていたとき、担当した中に、中年の兄弟があり、兄が末期の肺がん、弟がアルコール依存症でした。 お兄さんに最後に会ったとき、「どうしようもなくイライラする。もう次(に会う時)はおらん(生きていない)気がする」「とにかく弟を頼む。断酒会に行くよういうてくれ」と言われましたが、私はその後一度も弟さんに会えないうちに、仕事に行けなくなりました。 昔のことを思い出すとき、いつも真っ先に頭に浮かびます。 いくつもの状況が重なったのだと思いますが、それでもお酒は助けではなくさらに苦しめるものになったはず。 この小説は、もちろんお酒の害を説いたのではなくて、「依存しがちなもの」の一つを描いているのだと思います。 安易に楽になれる方へと流れることは、簡単だけれど、長い目で見るとあとでかえって苦しいことになります。 それは、たとえばお酒。あるいはギャンブル。その他、依存するすべて。 それらは、結局解決にはなりません。 そういうことは依存の状況になると外からどんなに言われても、なかなか聞き入れられないもの。 だから、依存を断つためには実際に体験した人が語る言葉を聞いて、自らが気づいていかなければならないのだよと、作者は主人公の行動を通して示しているように感じました。 このようなことは、真正面からただそれだけ言われても、あまり聞く気になれないものだし、そんなやり方はスマートじゃありません。 こういう、人が切り刻まれちゃったりする小説の中にこそ、案外、真理が書かれているのだな(ホンマカ)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.08.09 00:29:54
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