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カテゴリ:読書
「緋色の記憶」(トマス・H・クック)を読みました。
私には昔から変なクセがあって、それは、たとえば高校生の頃など英語の試験の最中に、問題文にある言葉が入っている歌が頭の中を回りだして消えてくれなくなるので、一度最初から最後まで歌い切らないと(頭の中で)、前に進めないというあほなクセでした。 今もしょっちゅう頭の中で歌が回りますが、最近は出だしだけでは自分でもなぜこの歌が?と分からないことが多くなり、サビの辺りまで来てようやく、あ~あ!ということになります。 この本を読み出してから、はっぴいえんどの風をあつめてがいつも口をついて出るようになり、しばらく何故か分からず歌ってましたが、2日ほど前にようやくキーワードが「緋色」だと気づきました。 緋色って、普段言わんから。 それはともかく、この小説はとてもよかったです。 なんていったらいいのか、単なるミステリ小説の粋を超えています。 考えてみれば、何も推理小説として書かれたものでなくても、お話というものを読む時はみな、スジを推理しながら読んでいるのであり、だから書く方も読み手が展開をどのように予測するかを考えながら書いている訳で、そういう意味では小説はすべて推理小説と言えなくもありません。 そんなことを改めて考えてしまうのは、この小説では「事件」やその「謎解き」だけを中心に描かれているのではなく、それらは物語の要素の一部分に過ぎないと感じるほど、情景や心理の描写が見事だからです。 人の心というのは奥深いものだな、人生というのは時間の積み重ねなんだな、と当たり前のことをしみじみ思いました。 一昨日、またいつもの公園でお昼を食べました。 桜もすっかり葉が茂り、全体が青々としていました。 最近は歩くと蜂など虫が多くて、私は迷惑しとりますが、鳥たちは大喜びで、広場をクルクル飛び回り追いかけていました。 動いている鳥は撮れなかったので、比較的近くでおとなしくしてくれた時に撮りました。 ヒヨドリ? 食事中。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.04 18:15:54
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